高橋信也
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その他の同名の人物については「高橋信也 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

高橋伸也」あるいは「高橋伸哉」とは別人です。

たかはし しんや高橋 信也
プロフィール
別名義高沢 孫一
生年月日 (1943-11-15) 1943年11月15日(80歳)
出身地 日本東京都
出身校御茶の水美術学院日本画
職業アニメーター
キャラクターデザイナー
絵本作家
イラストレーター
活動期間1965年 -
ジャンルアニメーション
その他日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員
アニメーター: テンプレート - カテゴリ
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高橋 信也(たかはし しんや、1943年11月15日 - )は、日本のアニメーターキャラクターデザイナー絵本作家イラストレーター日本アニメーター・演出協会 (JAniCA) 会員。1980年代には、「高沢孫一」名義でも活動した。
来歴・人物

東京都で出生。子供の頃から絵を描くのが好きで、ずっと絵を描く仕事に就きたいと望んでいたが、東京藝術大学の受験に二度失敗し[1]御茶の水美術学院日本画科を卒業後、1965年に叔父の紹介で[1]東映動画(現・東映アニメーション)に入社。同期は、宮崎駿、土田勇など[2]。3か月の養成機関を経てテレビアニメを担当する短編班に配属され、テレビアニメ『狼少年ケン』に参加。アニメーターの月岡貞夫の薫陶(くんとう)を受け、原画を描くようになる。正社員から契約社員となり、『レインボー戦隊ロビン』で初の作画監督を務めた。以後、多くのテレビアニメに参加した。

初のメインキャラクターデザインは1968年の『あかねちゃん』。「少女物の高橋」と評され、その後も多くの少女アニメを描いた。東映動画の「東映魔女っ子シリーズ」でも、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』『魔法使いチャッピー』と立て続けにキャラクター設計(キャラクターデザイン)を担当した。東映動画は1973年2月に退社し、以後はフリーで活動した。他社でも『さすらいの太陽[3]若草のシャルロット』などのキャラクターデザインや『ときめきトゥナイト』の総作画監督、『魔法の天使クリィミーマミ』の作画監督など、少女ものアニメを数多く担当している。

劇場映画『さらば宇宙戦艦ヤマト』参加時に下着姿の森雪を担当したところ、西崎義展プロデューサーに「やけに色っぽい雪を描くアニメーターがいるな」と目に留まり、以後『ヤマトよ永遠に』のサーシャ、『宇宙戦艦ヤマトIII』のルダ、『宇宙戦艦ヤマト完結編』のクイーン・オブ・アクエリアス、ディンギル少年、『オーディーン 光子帆船スターライト』のサラ・シアンベインカーと西崎作品の重要な女性キャラクターのデザイン、原画、作画監督を担当した。

トムス・エンタテインメント作品では作画監督原画などの仕事に関わったほか、絵本作家としても活躍している。

アニメーターの高橋しんや(別名義:針井新哉)、フードファイターの高橋信也(マイケル)とは同音同名の別人である。
参加作品
テレビアニメ
1963年


狼少年ケン(1963年 - 1965年、OP動画・原画)

1966年


レインボー戦隊ロビン(1966年 - 1967年、原画・作画監督)

魔法使いサリー 第1期(1966年 - 1968年、作画監督)

1968年


サイボーグ009 第1期(原画・作画監督)


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