「高橋誠」、「高橋良」、「高橋真琴」、あるいは「高橋麻琴」とは別人です。
高橋まこと
出生名高橋信
生誕 (1954-01-06) 1954年1月6日(70歳)
出身地 日本・福島県福島市
学歴福島県立福島高等学校卒
ジャンルロック
職業ミュージシャン
ドラマー
担当楽器ドラムス
活動期間1978年 -
共同作業者BOOWY
公式サイト高橋まこと OFFICIAL WEB SITE
高橋 まこと(たかはし まこと、1954年1月6日 - )は、日本の音楽家。本名、高橋 信(読み方同じ)。福島県福島市出身。福島県立福島高等学校出身。
日本のロックバンド、BOOWYのドラマーとして知られる。身長170cm、体重61kg。血液型はA型。既婚。 ザ・ベンチャーズのメル・テイラーや、ビートルズのリンゴ・スター等のドラマーに影響を受け、ドラムを始める。アマチュア時代数多くのバンドに参加し、自身がリーダーを務めたGrape Jamにて、1974年開催のロック・フェスティバル「ワンステップフェスティバル」への出演も果たした。 上京後の1978年、長沢ヒロ率いる長沢ヒロ&HEROに参加するも、メジャー・デビュー・アルバム『Hero’s GIFT』の録音が終わった時点で脱退。音源はそのまま発売されたが、ジャケット写真は後任の伊藤真視(現:1960)が写っている。 1981年、知人に誘われて見た新宿LOFTでの暴威のライブ(この時が暴威としての初ライブ)の後、ドラムを募集していることを知り、メンバーとのスタジオセッションを経て、その後加入した。 1987年、BOOWYが解散発表するとほぼ同時期に元ALLERGYのボーカリスト宙也を中心として結成されていたDe-LAXに参加。De-LAX解散後、1994年にソロ・アルバム『楽しき人生』を発表した後、De-LAXのギタリスト・榊原秀樹と共にGEENA この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
略歴
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BOOWY以前は、アニメソングの作曲やジャニーズ事務所のバックバンドとして有名な長沢ヒロのバンド「HERO」、RED WARRIORSの木暮武彦のバンド「STRAIGHT」に所属していたこともあり、アマチュアシーンではその名が知られていた。
スタジオでのセッションを経て、1981年5月にBOOWYに加入する。その後、高橋と他のメンバーは、レコーディングのため河口湖で行われた合宿所での麻雀で親睦を深めたという。布袋は麻雀が上手くなかったので、ほとんど高橋の後ろで見ていたが、その打ち筋は初心者の布袋の目から見てもとことん男らしかったと証言している[1]。
BOOWYのドラマーに採用された理由が「曲の出だしのカウントする声が大きかった」ことだと言われていたが、実際には高橋を加入させることは他のメンバー間では決定事項であり、オーディションは行われていなかった。
BOOWYの駆け出しの時代、他のメンバーに内緒で、とりあえず車で東京まで帰って来られる額のヘソクリを持っていた。内緒にしておかないとメンバーから「酒を飲もう」「飯を食おう」ということになるため、と語っていた[1]。
BOOWY時代初期に、布袋寅泰からのアドバイスをきっかけにサングラスを着用し始めた。以来、今日まで自身のトレードマークとして定着している。同時期に氷室京介の免許更新に同伴して群馬に行った際、当時まだアマチュアだったヤガミトールに焼肉をおごってもらう代わりに、ヤガミの自宅でドラムを2時間叩いてみせたことがある。しかし当時は高橋とヤガミのレベルが違いすぎ、ヤガミは「何故こんな音が出るのか全くわからなかった」という。
BOOWY時代、ライブのメンバー紹介では、ボーカルの氷室京介から「原子のドラム、高橋まこと!」と紹介されていた。「ミスター・エイトビート」という異名がある[2]。
2023年4月29日、大阪万博に関するツイートで予定されている入場料8,000円が高すぎるとして「今から、失敗が見えている」と一般の人がコメントしたことに対して「もうこの三流国日本には五輪も万博も要らねえよ。たかだか半年のくだらん祭りなんざ願い下げ。誰が儲かって誰が大変な思いをするのがもう既に皆んな知ってんだぜ。もう昭和じゃねえんだ」と発言[3]。
作品
シングル
ソロ
LOVE SONGの途中でも(1994年6月17日、TODT-3257)
ここから?FROM HERE?(2013年1月6日、ABCD-1301)
アルバム
ソロ
楽しき人生(1994年7月20日、TOCT-8461)
書籍
スネア(2007年 マーブルトロン ISBN 4123901557/2017年 立東舎文庫)
DVD
スネア THE MOVIE 8beat of BOOWY(2009年 アトス・インターナショナル)- ドラム教則DVD。
参加した主なバンド
ヒーロー
AUTO-MOD
BOOWY
De-LAX
GEENA
UZU - 和洋BAND。メンバーは佐藤三昭、小田島徳旺、加藤芳治、三浦公規、浅野祥、George
PRISCIILA
BLUE CADILLAC ORCHESTRA
DAMNDOG
ドラマーズ - メンバーはJUN SKY WALKER(S)の小林雅之、元THE BLUE HEARTSの梶原徹也、元PRINCESS PRINCESSの富田京子、元RCサクセションの新井田耕造など。
THE AURIS (SUPER) BAND
JET SET BOYS - メンバーは椎名慶治、友森昭一、tatsu。
主な参加作品が望まれています。
abe gakk
マキシシングル『epilogue』参加