高槻中学校・高等学校
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高槻中学校・高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度50分53.2秒 東経135度37分39.6秒 / 北緯34.848111度 東経135.627667度 / 34.848111; 135.627667座標: 北緯34度50分53.2秒 東経135度37分39.6秒 / 北緯34.848111度 東経135.627667度 / 34.848111; 135.627667
過去の名称高槻中学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人大阪医科薬科大学
設立年月日1940年
創立記念日10月16日
創立者藤堂献三
共学・別学男女共学
中高一貫教育完全一貫制
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC127310000327 (中学校)
D127310000352 (高等学校)
所在地569-8505
大阪府高槻市沢良木町2-5
外部リンク公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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高槻中学校・高等学校(たかつきちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、大阪府高槻市沢良木町に所在し、中高一貫教育を提供する私立中学校高等学校

中高一貫教育を提供し、高等学校においては、生徒を募集しない完全中高一貫校である[1]
概要

大阪府高槻市には、戦前公立旧制中学校がなく、住民の熱意に応える形で[2]、大阪高等医学専門学校(現:大阪医科薬科大学)理事長の藤堂献三が、京阪電気鉄道有田邦敬社長、高槻町礒村弥右衛門町長の出資を元に(旧制)高槻中学校を設立。1951年にようやく府立高校(大阪府立島上高等学校、現在は統合により大阪府立槻の木高等学校)が設立される際は、市から何度も改称を要請され丁重に断ったという[2]

1947年新制高槻中学校を併設、1948年、新制高槻高等学校となり、2016年度まで男子の私立中高一貫校となる。藤堂は安定した医大経営を背景に、初代校長には灘中学教頭吉川昇を迎え、現場には必要以上の干渉をせず教員に任せたことで、早くから進学校としての地位を確立した。1960年代には京大などの旧帝大に合格者を輩出している[2]

裕福でなくても通えるように、切り詰められるところは切り詰めて学費を安くし、公表している学費以外に寄付は募らない明朗な経営を行う[2]。華やかさはなく、全体を底上げし、個性重視でバンカラな校風は旧制中学校の気風があった。

長らく男子校であったが、少子化や公立高校の大胆な教育改革に背景に[3]2004年、高校募集を停止し、完全中高一貫校となる。2017年(平成29年)より女子学生を受け入れ、2020年現在男女共学化の移行過程にある。

この間に、経営強化のため、2014年、学校法人高槻高等学校は学校法人大阪医科大学と法人合併し[4]2016年、学校法人大阪薬科大学と合併し、経営母体は学校法人大阪医科薬科大学となっている。この結果、高槻中学・高校は大阪医科薬科大学との高大連携の教育活動も展開している。

2014年、3コース制 (GL/GS/GA) となる。創立の経緯から、大阪医科薬科大学と交流があり、本校の歴代の理事長は同大学の学長・理事長経験者が就任。2011年度から同大学での体験授業ならびに実習が本校生徒向けに行われている。こうした経緯から伝統的に医学部への進学者が多く、在籍者にも医師の子弟が多いという特徴がある。

2017年3月に南棟、2018年8月に新図書館、アクティブラーニングコモンズおよび講堂(コナコピアホール)が完成、2020年春に新本館が完成した。

2020年、創立80周年を迎え、卒業生は一万五千名を数える。
沿革

大阪の北東部に位置する高槻市は、島上郡の中心であり、江戸時代には高槻藩3万6千石の城下町が置かれ、藩校「菁莪堂」も設けられていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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