高校演劇(こうこうえんげき)は、日本の高校生が行う演劇活動の総称。現代演劇の1ジャンルである学生演劇のうちの1つ。特に部活動として演劇部が校内外で行う演劇活動と、大会に向けて上演する作品のことを指し高校演劇と呼ぶ。高校野球同様全国大会があり全国高等学校演劇大会として毎年夏に開催される。 日本の高等学校では、小学校や中学校と同じく、文化祭などの学校行事の中で演劇が取り入れられることが多く、都内だと'"`UNIQ--templatestyles-00000001-QINU`"'国立(くにたち)高等学校「国高祭」、青山高等学校「外苑祭」、日比谷高等学校「星陵祭」、東京学芸大学附属高等学校「辛夷祭」などに代表されるような、文化祭の目玉として演劇がある学校もある[1]。中でも特に国立高校の文化祭演劇は有名で「日本一の文化祭」とも呼ばれている[2]。また近年は追手門学院高等学校に代表される演劇科を持つ学校や、福島県立いわき総合高等学校に代表されるような選択教科として「演劇」を扱う学校も増えており、中でも福島県立いわき総合高校と飴屋法水により制作された「ブルーシート」は2014年、第58回岸田國士戯曲賞を受賞するなど著しい成果を上げている[3][4][5][6][7][8]。一方で部活動としての演劇活動は「演劇部」として校内外で演劇公演を行い、全国高等学校演劇協議会に加盟し、同協議会が主催する全国高等学校演劇大会(コンクール)において作品を上演する。全国高等学校演劇協議会に加盟している高校の数は2100校である(2017年度現在)[9]。近年では、全国高等学校演劇大会で最優秀賞を受賞した兵庫県立東播磨高等学校『アルプススタンドのはしの方』が映画化し、低予算映画ながらヒットしたことでも話題になった。 以下では、主に部活動としての高校演劇について述べる。 大正期、坪内逍遙らにより、教育における演劇の導入が提唱された[10]。これは特に児童期(特に小学校)における学校劇の導入に一定の指針を示すものであったが、高校における演劇活動についても、その基礎が逍遙らにより同時期に形成された。 その後、第二次世界大戦期に演劇活動は全般的に規制されたが、終戦後は高校演劇も再興した。福島県・東京都・福井県では、1947年より都道府県単位での高校演劇大会が行われている[11]。また、同年には北海道・札幌において、現在の札幌南高校の前身である札幌一中を中心とし、初の合同発表会が行われている[12]。現在のブロック大会にあたる大会(全国大会の下部大会)についても、中部日本ブロックが1948年から、北海道ブロックが1951年より行われており、その歴史は古い[11]。1955年からは全国大会(全国高等学校演劇大会)が開催されている。 演じる内容について、高校演劇と「大人の演劇」を区別する基準はない。異なる部分は、演者が高校生であるか大人であるかだけである。しかしながら、高校生活は3年間しかなく、大会を勝ち上がることに目標が置かれることもあり、商業演劇や小劇場演劇と異なる「特殊性」を持つことがある。劇作家・演出家である平田オリザは、高校演劇について「(大会で)負けたら終わり」であることが一番の特殊性であると述べている[13]。
概説
歴史
高校演劇の特徴
総括的な特徴
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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