たかまつ えいこ
高松 榮子
『有りがたうさん』(1936年)
本名須田 シヅ (すだ しづ)
生年月日 (1893-07-02) 1893年7月2日
没年月日 (1957-10-04) 1957年10月4日(64歳没)
出生地 日本 東京府東京市(現在の東京都)
職業女優
ジャンル新派、劇映画(時代劇・現代劇、サイレント映画・トーキー)
活動期間1924年 - 1956年
主な作品
『愛の乱舞
高松 榮子(たかまつ えいこ、1893年7月2日 - 1957年10月4日[1])は、日本の女優である[2][3][4][5][6][7][8][9]。新字体表記高松 栄子、本名は須田 シヅ(すだ しづ)[2][3][7]。サイレント映画の時代は『愛の乱舞』で新井淳、『東海道膝栗毛』で粂譲を相手に主演し、戦後も『カルメン故郷に帰る』等多くの話題作に出演した、戦前戦後を通じての松竹のバイプレイヤーである[3]。 1893年(明治26年)7月2日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[1][3][7]。本名については、『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社
人物・来歴
横浜市立尋常高等横浜小学校(のちの横浜小学校、1946年廃校)を卒業し[2]、当時横浜の元町にあった横浜高等女学校(のちに磯子に移転、現在の横浜学園高等学校)を二年修業して中途退学した[1][2][3][11]。
その後、関東大震災後の1924年(大正13年)、浅草公園六区の常盤座で、根岸興行部の新派劇に参加し、女優となる[3]。同年、松竹蒲田撮影所に入社し、同年6月21日に公開された梅村蓉子の主演作『妹』(監督大久保忠素)に出演、満31歳を目前にした年齢で映画界にデビューした[3]。1927年(昭和2年)、準幹部に昇格したときにはすでに満34歳になっていた[3]。1936年(昭和11年)1月15日、同撮影所の機能が神奈川県鎌倉郡大船町(現在の同県鎌倉市大船)の松竹大船撮影所(現存せず)に移転するにともない、高松も異動になる[3][4]。その後、第二次世界大戦の間も、終戦後も、変わらず同撮影所に勤めつづけた[3][4]。
満63歳を目前にした1956年(昭和31年)に松竹を退社、東京映画が製作した瑞穂春海監督の映画『森繁よ何処へ行く』に出演、同作は東宝が配給して同年6月14日に公開された[3]。『芸能人物事典 明治大正昭和』によれば、同作をもって引退したとしている[3]。同年10月31日に公開された出演作『壁あつき部屋』(監督小林正樹)は、松竹在籍中の1953年(昭和28年)10月にすでに製作されていた作品である[4]。以後の消息は不明とされていた[3][7]が、『文化人名録 昭和33年版』(日本著作権協議会)において、1957年(昭和32年)10月4日に死去したという旨が記されている[1]。満64歳没。 すべてクレジットは「出演」である[4][5]。公開日の右側には役名[4][5]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[9][12]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。 特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」、特筆以外すべてサイレント映画である[4][5]。
フィルモグラフィ
松竹蒲田撮影所
『妹』 : 監督大久保忠素、1924年6月21日公開
『関の五本松』 : 監督牛原虚彦、1924年10月17日公開
『城ケ崎の雨
『愛の乱舞
『二人巡礼』 : 監督重宗務、1925年8月21日公開
『屋上の恋人』 : 監督吉野二郎、1925年11月13日公開
『東海道膝栗毛 第一篇』 : 監督吉野二郎、1926年1月30日公開 - 女あんまお米
『お坊ちゃん』 : 監督島津保次郎、応援監督蔦見丈夫・五所平之助、1926年5月1日公開 - 羽田家女中
『娘』 : 監督五所平之助、1926年7月1日公開
『清水次郎長全伝 安政殺人剣の巻』 : 監督吉野二郎、1926年10月15日公開
『幻の義賊』 : 監督吉野二郎、1926年12月1日公開
『お照とお雪』 : 監督清水宏、1927年1月22日公開 - その妻
『九官鳥』 : 監督野村芳亭、1927年1月28日公開 - 女房女車掌照子
『艶魔』 : 監督重宗務、1927年3月11日公開 - 女房お豊
『白虎隊』 : 監督野村芳亭、1927年6月26日公開 - 母お道
『秋草燈籠 お露の巻』 : 監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 侍女楓
『秋草燈籠 小萩の巻』 : 監督野村芳亭、1927年8月5日公開 - 侍女楓
『仇討違い』 : 監督斎藤寅次郎、1927年8月19日公開
『親爺教育』 : 監督蔦見丈夫、1927年9月24日公開
『義剣侠刃』(『義劔狂刃』[5]) : 監督吉野二郎、1927年10月7日公開
『村の花嫁』 : 監督五所平之助、1928年1月27日公開 - その母お芳
『道呂久博士』 : 監督野村芳亭、1928年2月18日公開 - 看護婦松枝富子
『若人の夢』 : 監督小津安二郎、1928年4月29日公開 - 下宿のおかみさん
『妻君廃業』 : 監督大久保忠素、1928年8月24日公開
『彼と田園』 : 監督牛原虚彦、1928年8月24日公開
『拾った花嫁』 : 監督清水宏、1928年9月14日公開 - 甚作の母
『舞台姿』 : 監督野村芳亭、1928年10月27日公開 - 阪東団子
『陸の王者』 : 監督牛原虚彦、1928年11月10日公開 - 女房おかつ
『森の鍛冶屋』 : 監督清水宏、1929年1月5日公開 - お種
『円タク坊ちゃん』 : 監督大久保忠素、1929年3月2日公開
『あひる女』 : 監督清水宏、1929年3月9日公開 - その女房・お高
『学生ロマンス 若き日』 : 監督小津安二郎、1929年4月13日公開 - 下宿の内儀、103分尺で現存(NFC所蔵[9])
『浮草娘旅風俗』 : 監督清水宏、1929年5月31日公開 - 喜六の女房
『岡辰押切帳』 : 監督斎藤寅次郎、1929年6月28日公開
『和製喧嘩友達』 : 監督小津安二郎、1929年7月5日公開 - おげん
『親』 : 監督清水宏・大久保忠素、1929年8月1日公開 - 妻・お吉
『たゝかれ亭主』 : 監督斎藤寅次郎、1930年1月27日公開
『現代奥様気質』 : 監督重宗務、1930年2月1日公開
『純情』 : 監督成瀬巳喜男、1930年2月14日公開 - おつたの母
『生きる力』 : 監督西尾佳雄、1930年2月 - 妻とき
『おごって頂戴よ』 : 監督西尾佳雄、1930年8月15日公開
『愛は力だ』 : 監督成瀬巳喜男、1930年8月29日公開 - 剛三の妻・おたみ
『霧の中の曙』(『霧の中の顔』[5]) : 監督清水宏、1930年11月1日公開
『若者よなぜ泣くか』 : 監督牛原虚彦、1930年11月15日公開 - 淑女、193分尺で現存(NFC所蔵[9])
『煙突男』 : 監督斎藤寅次郎、1930年12月5日公開
『モダン籠の鳥』 : 監督斎藤寅次郎、1931年1月10日公開
『公認駆落商売』 : 監督佐々木恒次郎、1931年2月25日公開
『男女押し比べ』 : 監督佐々木康、1931年6月12日公開
『落第未遂』 : 監督松井稔、1931年7月23日公開
『何が彼女を裸にしたか』 : 監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開
『娘の意気高し』 : 監督斎藤寅次郎、1931年8月15日公開
『浮気は汽車に乗って』 : 監督成瀬巳喜男、1931年8月15日公開 - 母
『彼女の興奮』 : 監督斎藤寅次郎、1931年10月31日公開
『七つの海 前篇 処女篇』 : 監督清水宏、1931年12月23日公開 - 妻・お悦
『金色夜叉』 : 監督野村芳亭、1932年1月14日公開 - その妻、81分尺で現存(NFC所蔵[9])
『三太郎満州出征』 : 監督斎藤寅次郎、1932年2月4日公開
『七つの海 後篇 貞操篇』 : 監督清水宏、1932年2月11日公開 - 妻お悦、81分尺で現存(NFC所蔵[9])
『恋の花咲く 伊豆の踊子』 : 監督五所平之助、1933年2月2日公開 - 母おたつ、124分尺で現存(NFC所蔵[9])
『島の娘』 : 監督野村芳亭、サウンド版、1933年3月15日公開 - 寺川屋女中お杉、62分尺で現存(NFC所蔵[9])
『東京音頭』 : 監督野村芳亭、サウンド版、1933年9月28日公開 - ばあや、78分尺で現存(NFC所蔵[9])
『愛撫』(ラムール) : 監督五所平之助、1933年11月9日公開 - その母、113分尺で現存(NFC所蔵[9])
『沈丁花』 : 監督野村芳亭、1933年11月16日公開 - 待合の女中
『惚れた強味』 : 監督宗本英男、1934年8月30日公開
『殴られた河内山』 : 監督衣笠貞之助、製作松竹下加茂撮影所、1934年12月1日公開 - お槙
『雪之丞変化 第一篇』(1935年)のポスター。
『花婿の寝言』 : 監督五所平之助、1935年1月13日公開 - 花嫁の母お里、73分尺で現存(NFC所蔵[9])
『東京の英雄』 : 監督清水宏、1935年3月7日公開 - 婆や、64分尺で現存(NFC所蔵[9])
『彼と彼女と少年達』 : 監督清水宏、1935年5月30日公開 - 床チビの母
『春琴抄 お琴と佐助』 : 監督島津保次郎、トーキー、1935年6月15日公開 - 役名不明、100分尺で現存(NFC所蔵[9])
『雪之丞変化 第一篇』 : 監督衣笠貞之助、製作松竹京都撮影所、1935年6月27日公開 - 浪路の乳母