高松宮記念杯競輪
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この項目では、競輪のGI競走について説明しています。中央競馬のGI競走については「高松宮記念 (競馬)」を、競艇のGI競走については「高松宮記念特別競走」をご覧ください。
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高松宮記念杯競輪概要
格付けGI
優勝賞金4700万円
愛称宮杯
概定番組6日間トーナメント
主催者滋賀県または大津市 - 1988年まで
大津市 - 2010年まで
持ち回り - 2011年以降
開催地持ち回り
開催時期6月
歴史
初回開催1950年
初代優勝者山本清治
最多優勝者滝澤正光(5回)
直近優勝者古性優作(2023年)
次回開催予定
次回開催2024年6月11日-16日
次回開催地岸和田競輪場
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高松宮記念杯競輪(たかまつのみやきねんはいけいりん)は、毎年6月に開催される、競輪のGI競走である。

2010年までは滋賀県大津市大津びわこ競輪場で開催された。同競輪場の廃止に伴い2011年より持ち回りとなった。
概要

当大会は、1950年の第1回大会から2010年の第61回大会まで開催された大津びわこ競輪場を開設するにあたり、その選定地が近江神宮外苑であったことから、近江神宮に縁のある高松宮宣仁親王に賜杯の下賜を請願し、承諾を得たことに由来する。

1963年の第14回大会までは『高松宮同妃賜杯競輪』として、1964年の第15回大会から1972年の第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』として、1973年の第24回大会から1997年の第48回大会までは『高松宮杯競輪』としてそれぞれ行われ、1998年の第49回大会より現在の名称で行われている。

ファン・選手・関係者の間では親しみを込めて「宮杯(みやはい)」という略称で呼ばれる。また、例年6月という梅雨の時期に開催されることから「雨の宮杯」と呼ばれることもある。

当大会は「東西対抗戦」が謳われており、出場選手を東日本地区・西日本地区でそれぞれ分けた上で各地区ごとに予選を行うことが特徴である。かつては最終日の前日に東日本・西日本それぞれで決勝戦(他のGIでは準決勝戦に該当)を行い、それぞれ1 - 4着8名と5着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がる方式であった(レース後は1着選手が東日本王者または西日本王者として表彰された)。現在では5日目に東日本・西日本とも準決勝戦を2レースずつ行い、それぞれ1 - 2着8名と3着のうちいずれか1名が最終日の決勝戦に勝ち上がることになっている。

1992年の第43回大会限りで引退した中野浩一(同大会決勝戦2着)がグランドスラムに王手をかけながら唯一タイトルを獲得出来なかった特別競輪(GI)としても知られる。また、2004年の第55回大会に優勝した松本整や、2006年の第57回大会の内林久徳が大会直後や大会中に引退発表したレースでもある。

開催時期については、大津びわこ競輪場での固定開催であった時期は5月下旬?6月上旬の間に開催されることが多かったが、持ち回りとなって以降、特に2012年の第63回大会以降は6月中旬(最終日は日曜日)での開催が続いている。

なお、第1回から第5回までは記念競輪(現在のGIII相当)として、第6回から第13回までは特殊競輪(現在のGII相当)として、それぞれ開催されており、特別競輪(現在のGI相当)として正式に認定されたのは1963年の第14回大会からであるが、第1回からほぼ6日間連続通しで開催されていたこともあり、現在では過去全ての優勝者を特別競輪を制覇した者として扱っている。
賞金

以下は、第75回大会(2024年)の決勝戦における各着順の賞金額[1]

1着2着3着4着5着6着7着8着9着
4,700万円2,372万円1,550万円1,131.6万円905.3万円742.0万円618.4万円577.6万円548.7万円

歴史

1950年の大津びわこ競輪場開設記念開催となる第1回の『高松宮同妃賜杯競輪』では、高松宮が宮妃と共に決勝日に訪れ、賜杯となる優勝トロフィーを優勝者に自ら渡した。以降も高松宮は幾度も決勝日に来場し、決勝の表彰式に臨席するのが恒例となった。以後、1963年の第14回大会まで同名称で開催された。

1964年第15回大会から1972年第23回大会までは『高松宮賜杯競輪』の名称で開催され、1973年第24回大会から長らく『高松宮杯競輪』として開催されてきたが、1997年第48回大会の直前に皇室経済法等の規定により高松宮家から「下賜を取りやめたい」という申し出がなされたため、一時は高松宮杯競輪の開催が危ぶまれるという事態に陥った。最終的に同年はそのまま「高松宮杯競輪」として開催されたが、翌1998年第49回大会からは『高松宮記念杯競輪』と改称することで落ち着いた[2]

1999年第50回大会からはそれまでの6日制から4日制へと改められ、2002年第53回からそれまでの特別競輪という呼称に代わりグレード制が採用されたためGI競走に格付けされた。

2010年第61回大会では総売上が目標額(133億円)に達しなかっただけでなく、大津市が競輪事業の存廃の分岐点と定めた110億円をも下回る107億4605万1900円に留まったことから、大津市は2010年度末(2011年3月末)をもって競輪事業と大津びわこ競輪場の廃止を決定した[3]。このため高松宮記念杯自体の存続も議論されたが開催は継続されることになり、2011年度以降は他の特別競輪同様に開催を希望する競輪場での持ち回りで実施されることになり[4]、現在に至っている。ただ、持ち回りとなって以降は、大津びわこ競輪場と同じ近畿の岸和田競輪場が積極的に誘致しており、2011年以降2023年までで通算8回開催しており、それ以降も開催地が決定している2025年まで5年連続して開催予定(通算10回目となる開催予定)である。

2020年の第71回大会はCOVID-19の流行と感染拡大の防止の観点から、競輪のGI競走としては初めての無観客開催として開催が行われた[5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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