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出典検索?: "高木正明" 国会議員
日本の政治家高木 正明たかぎ まさあき
生年月日 (1929-05-13) 1929年5月13日
出生地 北海道札幌市
没年月日 (2006-01-04) 2006年1月4日(76歳没)
死没地 北海道札幌市
出身校中央大学法学部中退
所属政党自由民主党(中川G→田中派→(竹下派)小渕派)
称号従三位
勲一等瑞宝章
第63代 北海道開発庁長官
第32代 沖縄開発庁長官
内閣村山改造内閣
在任期間1995年8月8日 - 1996年1月11日
参議院議員
選挙区北海道選挙区
当選回数3回
在任期間1980年7月8日 - 1998年7月25日
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高木 正明(たかぎ まさあき、1929年5月13日 - 2006年1月4日[1])は、日本の政治家。参議院議員(3期)。 北海道札幌市出身。中央大学法学部中退。中川一郎秘書、北海道議会議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に北海道選挙区から自民党公認で出馬し、宏池会新人岩本政光と共に初当選。 1983年1月の中川一郎自殺事件では、検案書作りに絡んで「急性心筋こうそくの疑い」という嘘の検案書を病院に作らせた虚偽診断書作成教唆罪に問われ、虚偽診断書作成罪に問われた病院長と共に同年11月上旬に略式命令を受けて罰金刑が言い渡された[2][3]。 1998年まで3期18年務めた(1998年も公認決定していたが出馬断念し、道議会の後輩で中川一郎の実弟であった中川義雄が出馬)。1995年8月、村山改造内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。1996年1月まで務めた。中川派、田中派、竹下派→小渕派に所属。1999年、勲一等瑞宝章受章[4]。 2006年1月4日、肺炎のため札幌市内の病院で死去。76歳没[1]。死没日をもって従三位に叙される[5]。 公職
来歴
年譜
1980年 参議院議員選挙当選
1986年 参議院農林水産委員長
1993年 参議院議院運営委員長
1995年 8月8日、北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官(村山改造内閣)
1996年 1月11日、内閣総辞職
1998年 政界引退
1999年 11月3日、勲一等瑞宝章受章
脚注[脚注の使い方]^ a b “ ⇒高木正明氏死去 元北海道、沖縄開発庁長官”. 47News (2006年1月4日). 2013年8月25日閲覧。
^ “高木議員ら書類送検 中川代議士の自殺隠し”. 朝日新聞. (1983年3月7日)
^ “高木参議院議員と院長の罰金刑確定 中川一郎氏自殺事件”. 朝日新聞. (1983年12月6日)
^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
^ 『官報』第4266号8-9頁 平成18年1月31日号
先代
小沢潔 北海道開発庁長官
1995年 - 1996年次代
岡部三郎
先代
小沢潔 沖縄開発庁長官
1995年 - 1996年次代
岡部三郎
議会
先代
井上孝 参議院議院運営委員長
1993年次代
前田勲男
先代
成相善十 参議院農林水産委員長
1986年 - 1987年次代
岡部三郎
表
話
編
歴
北海道開発庁長官 (1995年 - 1996年)
統合前
運輸大臣
小日山直登
田中武雄
三土忠造
村上義一
平塚常次郎
増田甲子七
苫米地義三
北村徳太郎
岡田勢一
小沢佐重喜
大屋晋三
山崎猛
石井光次郎
三木武夫
吉野信次