.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}高木(たかぎ) 東六(とうろく)
1953年春に松島で撮影
基本情報
別名鳥羽 俊三、司太郎、高木 伸男、高木 律朗[1]
生誕1904年7月7日[1]
出身地 日本 鳥取県米子市[1]
死没 (2006-08-25) 2006年8月25日(102歳没)[1]
ジャンルクラシック
職業作曲家、ピアニスト
担当楽器ピアノ
活動期間昭和時代
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル クラシック音楽
高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 2006年8月25日)は、主に昭和期に活躍した日本の作曲家、ピアニスト。別名に鳥羽 俊三(とば しゅんぞう)。 現在の鳥取県米子市に正教会の神父(司祭)の子として生まれる(本籍地は岡山市)。現在の茨城県北茨城市磯原町にて育ち、幼い頃より音楽教育を受けた。1924年に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)ピアノ科に入学し、橘糸重、高折宮次
人物・来歴
高木の作曲した音楽はオペラ、ピアノ曲などのクラシック音楽に留まらず、シャンソンやポピュラー曲など多岐に亘った。だが、演歌や歌謡曲に関しては「喜びや笑い、ユーモアがない」や「メロディーが暗くて絶望的。歌詞も星、涙、港と百年一日である」と公言するほど、批判的な意見で有名だった(しかし、演歌歌手の島津亜矢が少女時代にデビューした際、藤山一郎とともに絶賛したという逸話も伝えられている)。
またテレビでもNHKの「あなたのメロディー」やTBSの「家族そろって歌合戦」に長きに亘り、審査員として出演。持ち前のユーモアと辛口さを織り交ぜたコメントでお茶の間でも知られるようになった。特に全国を巡回しての公開視聴者参加型番組であった「家族そろって歌合戦」では審査員紹介の際に毎週、会場となった土地にちなむ俳句を披露することで有名であった。
その後、高齢者の合唱団の指揮・指導など90歳を越えても現役で活躍していた。
1980年に勲四等旭日小綬章を受章、1982年に日本童謡賞を受賞、1997年には米子市市民栄光賞を受賞した。2004年より伊那市名誉市民となる。
2006年8月25日、肺炎のため埼玉県内の病院で大往生した。102歳没。高木は日本ハリストス正教会に所属する正教徒であったため、埋葬式は8月28日にニコライ堂で行われた。聖名はアファナシイ。これはギリシャ語語源で「不死の者」を意味する。高木の最も有名な弟子でもある作曲家の平義久には前年に先立たれていた。
自身の女性遍歴等を綴った『とうろくらぷそでぃ』(サンケイ新聞社出版局、1969年)など著書多数。
主要作品
オペラ・舞台作品
バレエ組曲「鶴」(1939年)
バレエ組曲「前進の脈動」(1940年)
舞踊組曲「アイヌの幻想」(独唱と合唱を伴う2管編成、1941年)
歌劇「春香」(1938年?1942年、1946年に改作)
舞踊組曲「夢現」(1946年)
バレエ組曲「舞姫タイス」
歌劇「唐人お吉」
管弦楽曲
組曲「タンゴのパロディ」(1927年)
フランス風タンゴ(1927年)
朝鮮の幻想(1939年)
尺八と箏のための協奏曲(1940年、久本玄智原曲)
朝鮮風舞踊組曲(1940年) - 新京音楽院賞第1位、文部大臣賞(第3楽章「太鼓」)
組曲「満洲みやげ」(1941年)
行進曲「吾等の日章旗」(1941年)
ピアノ協奏曲第1番「典雅なる舞曲」(1942年)
舞踊組曲「日本」(1942年)
子供のための少国民交響楽(1942年)
日本民謡組曲(1942年)
南方組曲(1942年)
ピアノ協奏曲第2番「前奏と諧謔」(1944年)
チェロ協奏曲「タンゴ幻想曲」(1944年) - 倉田高に捧ぐ
疎開学童風景組曲(1945年)
タンゴ二題(1945年)
花の舞踊三題(1945年)
一寸法師組曲(合唱と2管編成)
仮衣装のワルツ(青木爽のオペレッタ)
歌謡曲・歌曲
「空の神兵」(作詞:梅木三郎、歌:鳴海信輔・四家文子、灰田勝彦・大谷冽子)
「水色のワルツ」(作詞:藤浦洸、歌:二葉あき子)(ピアノ用変奏曲もある)
「あまんじゃくの歌」(作詞:深尾須磨子、歌:美空ひばり)