高木ブー
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本名高木(たかぎ) 友之助(とものすけ)[1]
ニックネームブーたん・ブーちゃん[2]
ロクさん・ロクちゃん
友ちゃん
別名義高木(たかぎ) 智之(ともゆき)(旧芸名)
生年月日 (1933-03-08) 1933年3月8日(91歳)
出身地 日本 東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)生まれ
千葉県東葛飾郡柏町(現在の千葉県柏市)育ち
身長160 cm
言語日本語
方言首都圏方言
最終学歴中央大学経済学部卒業
グループ名ザ・ドリフターズ
芸風コント・一発芸
事務所渡辺プロダクション

イザワオフィス
過去の代表番組『8時だョ!全員集合
ドリフ大爆笑
他の活動ウクレレ奏者
タレント
俳優
配偶者独身(1994年死別)
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高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi[3]1933年昭和8年〉3月8日 -)は、日本コメディアンミュージシャンウクレレ奏者、ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。

本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)[1]で、高木ブーへの改名以前は高木 智之名義で活動していた。また、全員集合のエンディングなどでは、高木 ブ?名義で表記されていた。身長160 cm。芸名の由来となったのは若い頃からの肥満体型である[4]
来歴
生い立ち-学生時代

東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)[5]に生まれる。第二次世界大戦末期の1945年に戦災で焼け出され、12歳の時に母方の郷里を頼って千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現:千葉県柏市明原2丁目)に一家で移り住み育った[6]。3人の兄と2人の姉を持つ6人兄弟姉妹の末っ子だったため、6番目の子という意味で、近所では「ロクさん」または「友ちゃん」という愛称で親しまれていた[7]。現在家族で存命なのは、末っ子の高木ブーだけである。

音楽に興味を持ったのは小学生の頃で、高木家には当時まだ珍しかった蓄音機ジャズレコードがあり、何となくではあるがそのレコードをよく聞いていた。この頃学校やラジオで聞こえていた音楽といえば唱歌軍歌浪花節がほとんどで、高木にとってジャズのメロディは新鮮で刺激的に聞こえた。「身体が自然に動き出すようなウキウキした気分になったのを今でも覚えてる。ジャズのレコードが僕を音楽の道に導いてくれたのかもしれない」と回想している[8]

その後柏駅から常磐線都電を乗り継ぎ都内の中学高校大学へ通い、京北中学校3年の頃に、ウクレレと出会いそれ以来夢中になる(詳しくは後述)。中央大学経済学部卒業[9]
芸能界入り

大学卒業後は東京ガスの採用が内定していたが、それを蹴ってプロのミュージシャンとなる。これは学生時代からハワイアンバンドとしてバイトしており、すでに当時の大卒の初任給より多いギャラをもらう月もあったことから、「まぁ、なんとかなるだろう」と楽観的に音楽の道に進むことを決めた[5]

当時の芸名は高木智之で、自身がバンドのリーダーを務める「高木智之とハロナ・セレナーダス」「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」を結成。この頃アメリカ軍キャンプをまわったり、返還前の沖縄や台湾、フィリピンを巡るワールドツアーを敢行[5]。その後「ニュー・フレッシュメン」時代を経てジェリー藤尾から声がかかり、「ジェリー藤尾とパップ・コーンズ」のバンドマンとして日本の芸能界での活動を始める。1960年代前半にエレキブームが到来したことで新バンド「ロジェ滋野とシャドーズ」を結成。「パップ・コーンズ」時代に仲本工事と出会い次の「シャドーズ」でも行動を共にし[10]、2人はザ・ドリフターズに加入することになる。
ザ・ドリフターズ入り

ジェリー藤尾率いるバンド「パップ・コーンズ」ではバンジョーを、「シャドーズ」ではエレキギターを担当していたが、横浜のジャズ喫茶「ピーナッツ」での演奏中に、前ドリフリーダーでバンドオーナーだった桜井輝夫と、ドリフの新リーダーであるいかりや長介にスカウトされ、1964年9月16日水曜日[11]、ピアニストの欠員補充としてドリフに参加した。

ドリフ加入について高木は「自分(がリーダー)のバンドを持っていたから、入りたくなかったけど、説得されて入った」と述べている。ドリフに移籍するにあたって給料の値上げを要求しようとしたが、うまく言い出せず、「娘が産まれたばかりでミルク代がかかる」などといった世間話を30分ほども続けた末に、やっと給料の値上げを要求している事をいかりやに気付いてもらえて、給料5000円アップの条件で交渉された。それでも迷いがあったため、帰宅して妻に相談すると「(ドリフに)行った方がいいんじゃない?」と背中を押されたことで加入を決めた[5]。高木自身は当初、楽器の腕前を買われてスカウトされたものと思っていたが、後年いかりやにスカウトの理由を尋ねたところ、「太っていてコミックバンド向きの外見だから、新生ドリフにスカウトした」と言われたという。これらの経緯については、いかりやの自伝『だめだこりゃ』でも詳細に語られている。なお、ドリフ加入前の30歳まで、柏市在住が続いていた[6]

ドリフ加入後もしばらくは「高木智之」の芸名で活動していたが、のち「高木ブー」に変更[12]


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