高嶋秀武
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たかしま ひでたけ高嶋 秀武
プロフィール
愛称ひでちゃん(さん)
ヒゲ武
ヒデ坊
[1]
出身地 日本 神奈川県横須賀市
国籍 日本
生年月日 (1942-04-17) 1942年4月17日(80歳)
血液型B型
最終学歴明治大学政治経済学部
所属事務所オフィスR&M
職歴1965年 - 1990年10月(ニッポン放送
活動期間1965年 - 現在
ジャンルトーク番組
バラエティ番組
情報番組
配偶者有
公式サイト ⇒オフィスR&M・高嶋秀武プロフィール
担当番組・活動
出演中高嶋ひでたけのオールナイトニッポン月イチ
高嶋ひでたけ 元気の現場
出演経歴オールナイトニッポン
大入りダイヤルまだ宵の口
高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団
ビッグベストテン
高嶋ひでたけのあさラジ!
備考
マイクネームとして「高嶋ひでたけ」を使用。アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

高嶋 ひでたけ
人物
国籍 日本
職業フリーアナウンサー
YouTube
チャンネル

高嶋ひでたけの イキナリ!ひでチャンネル

活動期間2020年7月13日 -
総再生回数約60万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002022-09-17-00002022年9月17日時点。
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高嶋 秀武(たかしま ひでたけ、1942年4月17日 - )は、フリーアナウンサーラジオパーソナリティ
来歴

神奈川県横須賀市 出身、小学生時代から、アナウンサーに憧れを持つ。小学5年の時、父が事故死し、以後は母親に育てられた。1961年3月、神奈川県立横須賀高等学校を卒業。同校の1年先輩に小泉純一郎がおり[2]、『大吉ラジオ』でパートナーを務めた冨田憲子は後輩に当たる。高校時代は成績結果にプレッシャーを抱えていたと回想し、高校時代は体育祭でアドリブ実況を挟んでいた[2]

1965年3月、明治大学 政治経済学部政治学科卒業後の同年4月、ニッポン放送に入社。入社同期は梶幹雄[3]。元・日本テレビアナウンサーの福留功男は明治大学 放送研究会の一年後輩にあたる[4]

元々はスポーツアナウンサー志望だったが[5]、編成制作部に配属。1966年1月、志望していたスポーツ部に異動し[5]、主にスポーツ番組を担当。東京オリオンズ東映フライヤーズ大洋ホエールズ読売ジャイアンツの担当として取材活動もしていた[6][7][5]。その他に1972年札幌オリンピックの実況も担当した[8]

1969年1月、今仁哲夫の後任として『オールナイトニッポン』の2代目パーソナリティとして、木曜担当に抜擢。当時はスポーツ部 所属だったため、ナイターシーズンは休演(代役は亀渕)。1970年3月に天井邦夫と交代して、番組を一旦降板するが同年10月には高岡ォ一郎の後任として水曜担当で復帰(これ以降はナイターシーズンでも掛け持ちで出演を継続)した。

1971年4月、天井と曜日を交換して、木曜担当に再び戻り、1972年1月まで延べ約2年半にわたって担当。当時のパーソナリティ陣の中で最年少だったことから「“ヒデ坊”」の愛称で親しまれ、糸居五郎斉藤安弘、天井、今仁哲夫亀渕昭信らとともに番組の第1次ブームを支えた。当時、オープニングの挨拶に「やる気ムンムン、その気ムンムン、チャムチャム、ミッチャム、ビケンヤ[9]」という言い回しの多用や、高橋圭三の物真似を好んで行ったりするという芸風だった。

1973年の人事異動で制作部へ異動。平日帯の若者向け番組を担当する事となり、1975年、『大入りダイヤルまだ宵の口』の初代パーソナリティに抜擢された。これを機に長髪と口髭をトレードマークとして、マイクネームはこの風貌に因んだ「高島ヒゲ武」に変更した[10]。マイクネームの候補には「高島ヒゲ武」の他「高島ナメ武」「高島エロ武」「ロッキード秀武」があり、『宵の口』の番組中でリスナーに「スタート」「ストップ」を言わせ、高速回転するテープをストップさせて出たのが「ヒゲ武」だった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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