高島駅_(神奈川県)
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高島駅
高島駅跡をゆく貨物列車(2013年12月)
たかしま
Takashima


所在地横浜市西区高島1丁目*.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度27分58秒 東経139度37分50.2秒 / 北緯35.46611度 東経139.630611度 / 35.46611; 139.630611座標: 北緯35度27分58秒 東経139度37分50.2秒 / 北緯35.46611度 東経139.630611度 / 35.46611; 139.630611
所属事業者日本貨物鉄道
電報略号タシ
駅構造地上駅
開業年月日1915年大正4年)12月30日
廃止年月日1995年平成7年)2月27日
乗入路線
所属路線東海道本線貨物支線(高島線
キロ程6.6 km(鶴見起点)
東高島 (1.0 km) (1.9 km) 桜木町
所属路線東海道本線貨物支線
キロ程0.0 km(高島起点)
(1.3 km) 表高島
所属路線東海道本線貨物支線(横浜臨港線)
キロ程0.0 km(高島起点)
(1.8 km) 東横浜
所属路線東海道本線貨物支線
キロ程0.0 km(高島起点)
(3.38 km) 程ヶ谷
備考貨物専用駅
* 現在はみなとみらい6丁目
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高島駅(たかしまえき)は、かつて神奈川県横浜市西区高島1丁目にあった日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅である。東海道本線貨物支線(通称高島線)上に存在した。JR貨物の駅となって以降、貨物列車の発着はなかった。電報略号は、タシ。
駅概要

地上駅で、3階建の駅舎があった。高島線東横浜駅方面や表高島駅根岸線から集められた貨車を仕分けするための操車場(高島ヤード)を有し、規模は大きかった。駅構内には機関区である横浜機関区(神奈川臨海鉄道横浜機関区とは別、旧高島機関区)を併設し、本線北側にコンテナ車有蓋車用の貨物ホームが2面、荷役線が3本存在した。また、1970年代まで横浜市の鉄道貨物輸送の拠点であり、駅北側の帷子川からの荷揚作業も行われていた。この他、駅南側にあり1983年に閉鎖・移転した三菱重工業横浜造船所へ続く専用線も存在した。駅跡地周辺は「横浜みなとみらい21」という再開発地区となっているが、開発の遅れもあり更地が多い。
歴史
開業までの経緯

横浜港の整備の過程で、1899年(明治32年)から1914年(大正3年)までかけて新港埠頭の造成が行われた[1]。この新港埠頭には臨港鉄道が引き込まれ、1911年(明治44年)9月1日に横浜港荷扱所が開設された[2]。これは1920年(大正9年)7月23日に横浜港駅となった[3]。詳細は「高島線#新港埠頭の造成と横浜周辺の鉄道網の拡張・再編」および「新港 (横浜市)#新港埠頭の岸壁」を参照

しかしこの新港埠頭への臨港鉄道は大きな問題を抱えており、貨物列車の運行につきものの入換作業を行うための操車場を埠頭内に設ける余地がなかった。このため入換は横浜駅(初代、後に桜木町駅を経て東横浜駅となる)で行うこととされたが、実際には横浜駅でも入換設備を増設する余地はなかった。そこで表高島町の埋立地に一大操車設備を有する停車場を設けることになった。こうして1913年(大正2年)6月2日に高島荷扱所として当駅は開設された[4]。この時点では横浜駅から本線に沿って単線の貨物線が高島荷扱所構内に続いていた[5]

引き続き、鉄道省新橋 - 程ヶ谷間改良計画と合わせて工事が進められた[4]。それまで横浜駅で東海道本線の列車が折り返し運転を行わなければならない構造になっていたのを改めるために、1915年(大正4年)8月15日に横浜駅が2代目の位置に移転開業し、初代の横浜駅は桜木町駅へ改称した。そして同年12月30日、桜木町駅のうち貨物設備の部分が分離独立して東横浜駅となった。高島荷扱所も同日高島駅となった。この日東横浜 - 高島間の複線化も実施され、そして高島と程ヶ谷を結ぶ複線の貨物線も開通した。また同月、初代横浜駅構内にあった横浜機関庫が高島構内に移転して高島機関庫となり、11線収容の機関庫が設けられた[5][6]。これにより旅客輸送の面では大きな改善が図られたが、貨物輸送には逆に不合理な面が発生し、横浜臨港線に発着する貨物列車は、東横浜から高島へ来てそこで折り返し、程ヶ谷への貨物線を走ってそこから東海道本線へ出発しなければならないことになった[7]。「横浜駅#2代目」および「保土ケ谷駅#歴史」も参照
客貨分離へ

続いて、1917年(大正6年)6月17日に鶴見と高島を結ぶ複線の貨物線が開通した[8]。これにより、すでに開通していた高島 - 程ヶ谷間と合わせて鶴見 - 程ヶ谷間の貨物線が開通し、横浜駅を経由する旅客列車と高島駅を経由する貨物列車の間で客貨分離が行われるようになった[5]。こうして当駅は鶴見から程ヶ谷への東海道本線貨物線の途中に位置して東横浜・横浜港への支線が分岐することになり、これにより横浜港の海陸連絡設備が完成することになった[9]。また同日、東神奈川と当駅を結ぶ連絡線も開通し、横浜線からの貨物列車が高島線に乗り入れられるようになった[5]。ただしこの線路は構内の西側につながっていて東横浜・横浜港方面への線路とは直接つながっておらず、行き来には転線作業を行う必要があった[10]。これらの改良工事により高島駅の重要性が高まり作業量が増大したことから、1921年(大正10年)12月構内改良工事が行われている[11]

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生し、高島駅でも駅舎が焼失するなどの大きな被害を受けた[3]。被害を受けた横浜の鉄道網の再建計画に当たって、横浜駅を3代目の現在の位置に移転することになり、1928年(昭和3年)10月15日に開業した。また東京への貨物列車の操車能力の逼迫を受けて、1929年(昭和4年)8月21日に東海道本線の貨物支線である通称品鶴線品川 - 鶴見間に開通し、この路線上に新鶴見操車場が開設された。さらに鶴見から本線に沿って程ヶ谷へ至る貨物線も開通し、程ヶ谷から平塚まで既に存在していた貨物線と合わせて、品川から平塚までの客貨分離が完成した。こうした一連の整備により高島 - 程ヶ谷間の貨物線は不要となり、同年9月16日に廃止となった。こうして横浜の臨港貨物線は鶴見・東神奈川で本線から分岐した先にある袋小路に位置することになり、新鶴見操車場を核として、高島駅の操車設備で補助的な操車作業を行う形態に移行した[12][13]。「高島線#関東大震災と再度の鉄道網再編」および「品鶴線#詳細」も参照


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