高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」[1]だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した[2]。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事[3]。1929年東京商科大学補手に降格。 1933年、大塚金之助が逮捕され、同僚の杉本栄一も検挙される。同年高島も、マルクスの「剰余価値学説史」を翻訳し、日本共産党中央機関紙を購読していたことなどを理由に検挙され、留置場に数時間勾留された[4]。 戦後、東京商科大教授兼予科教授を経て、1946年東京商科大予科長[5]。一橋大学法学社会学部社会学科長、1958年第3代一橋大学社会学部長。1968年、定年退官、名誉教授、関東学院大学教授[4]。1981年、定年退任[4]。 指導学生に長洲一二(元横浜国立大学教授、元神奈川県知事)[6]、水田洋(名古屋大学名誉教授、日本学士院会員)、古賀英三郎(元一橋大教授)、山田秀雄(一橋大学名誉教授)、中村貞二(東京経済大学名誉教授)、篠原三郎(静岡大学名誉教授)、石原保徳(元岩波書店編集者)、山田高生(成城大学名誉教授)[1]、鈴木秀勇(一橋大学名誉教授、元札幌大学学長)、黒沢惟昭(元東京学芸大学教授)[7]、和田重司
人物
ゼミ生等