高岡御車山祭
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高岡御車山祭
一番街通の御車山(2010年5月)
イベントの種類
開催時期毎年5月1日
会場山町筋周辺(富山県高岡市
最寄駅高岡駅
公式サイト
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高岡御車山祭と関野神社(左下)(1909年発行『富山県写真帖』)

高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)は、毎年5月1日に行われる富山県高岡市高岡関野神社の春季例祭。富山県内で最も古く、歴史のある山車(曳山)祭りで、御車山(みくるまやま)と呼ばれる7基の山車が優雅な囃子とともに高岡の旧市街を巡行する。4月30日には宵祭りが行われる。国の重要有形民俗文化財(御車山7基)と重要無形民俗文化財の両文化財に指定されている。また、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
概要

御車山は、1588年天正16年)に豊臣秀吉聚楽第後陽成天皇の行幸を仰いだ時に使用した御所車前田利家が拝領したものと言い伝えられており、それを加賀藩2代目藩主前田利長1609年慶長14年)に高岡に城を築いて町を開いた際に城下の町民に与え[1]、以来、山町(やまちょう〔山町筋〕)と呼ばれる高岡城下10ヶ町が手を加えながら代々受け継いできたものである。御車山は安土桃山文化の面影を残す優雅な装飾が施されている。装飾金具は江戸時代の名工達の手による作品であり木部も漆工達の優れた作品である。7基が揃って巡行する姿は絢爛豪華であり、町衆のエネルギーを示すものといえる。1991年(平成3年)に見つかった高岡市立博物館所蔵の絵図「越中国高岡関野神社祭礼繁昌略図」には1883年明治16年)に鴨島町の大旗を先頭に、獅子獅子舞)、母衣武者行列、神輿、そして7基の御車山の巡行の様子が描かれている。

「高岡御車山」7基が1960年昭和35年)6月9日に重要有形民俗文化財[2]に指定され、祭礼自体は「高岡御車山祭の御車山行事」として1979年(昭和54年)2月3日に重要無形民俗文化財に指定された。また山車の「工芸品」は1967年(昭和42年)富山県指定有形文化財に指定されている。

同一の行事に関連して、国の重要有形民俗文化財および重要無形民俗文化財の両方に指定されているものは全国で5例のみで、高岡御車山祭はその内の1つである。なお2006年(平成18年)には、「とやまの文化財百選(とやまの祭り百選部門)」に選定されている。

2015年(平成27年)4月24日、「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡?人、技、心?」の構成文化財として日本遺産に認定された。

2016年平成28年)10月には、18府県33件の「山・鉾・屋台行事」の中の1件として、ユネスコの無形文化遺産に登録勧告され[3]、同年12月1日に登録された[4]

2020年令和2年)および2021年(令和3年)は新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、関係諸団体は2年連続で曳山の巡行などの中止を決定した。社殿での神事等は行われる[5][6]2021年(令和3年)はこの他、代替事業として「特別奉曳」が、高岡ケーブルネットワークによる中継やYouTubeでのライブ配信を含めて実施された[1]他、小馬出町の山車1基が巡行された[7]
築山行事

毎年4月23日に高岡市の二上射水神社では築山(つきやま)行事が行われる。この行事は祭神を境内の三本杉の前に作った臨時の築山(祭壇)に迎え入れる神事で、一年の豊作を祈る古代信仰の形態で現在も続けられている。神事が終わると二上山の悪いが暴れるとされるため、築山は大急ぎで解体される。御車山は京都祇園祭の山鉾を模しながら築山行事を源流とし、移動できるように発展させたものと考えられている[8]。また地元民が神輿や獅子舞を練り回す[9]

なおこの行事は、富山県でも二上射水神社と放生津八幡宮放生津(新湊)曳山祭)で行われているだけであり、全国的にも珍しい行事で、両神社の築山行事は富山県の無形民俗文化財に指定されている。

2020年(令和2年)の築山行事は、新型コロナウイルス感染症の拡大を受け、中止を決定した[9]
山町山町筋(筏井家住宅)菅野家住宅

山町(山町筋)は豊臣秀吉の御所車(山車)を加賀藩2代藩主前田利長より与えられ保有する由緒ある10ヶ町で、土蔵造りの建造物が多く残る町である。山町は利長が高岡城城下町として開町し、利長死後3代藩主前田利常が商工業都市として発展させた町だか、高岡の町では1900年(明治23年)に大火災がおこり、山町(山町筋)の大部分が被災した。その中でも元々あった土蔵造り2軒が焼け残ったため、その後旧北陸道沿いと、その周辺の建物は防火構造の土蔵造りにせよとの富山県の法令によって、旧北陸道沿いの山町(山町筋)に土蔵造りの家屋が多く建てられた。2000年(平成12年)12月4日には、「高岡市山町筋伝統的建造物群保存地区」の名称で国の「重要伝統的建造物群保存地区」として選定されている。

木舟町の重要文化財「菅野家住宅」や、小馬出町の高岡市指定文化財「高岡市土蔵造りのまち資料館(旧 室崎家住宅)」では、土蔵造りの商家を一般公開(ともに有料)している。

山車と獅子頭(獅子舞)を保有する10か町

通町(とおりまち)、御馬出町(おんまだしまち)、守山町(もりやままち)、木舟町(きふねまち)、小馬出町(こんまだしまち)、一番街通(いちばんまちどおり)この山車だけが「源平町」「三番町」「一番町」の三町で共有されている。二番町(にばんまち)


坂下町(さかしたまち) 源太夫(げんたい)獅子を保有。

母衣宿

昭和前期まで御車山を保有しない9町によって神輿や山車の露払いのため、大旗を先頭に母衣武者行列が行われていたが、現在では6町で祭礼時に設けられる母衣宿に、母衣武者や旗を飾り神輿や山車を迎え入れる形となっている。
獅子舞
坂下町(さかしたまち)

山車は保有しないが、山車を先導する源太夫(げんだい)獅子を保有し露払いのため獅子舞を舞う。獅子舞は小さな獅子頭を紋付姿の3人でゆったりと舞うもので、頭を操る人は幕を被らないで操る。獅子頭は1983年(昭和58年)に古くからの言い伝えを元に復元再興されたもので、古くは二上の村落が運営していたが、復元を機に坂下町によって執り行われることとなった。復元には二上射水神社の築山行事で使用される富山県内最古の獅子頭といわれる源太夫獅子を元としている。前述のとおり1991年(平成3年)には、言い伝えを裏付ける山車を先導した様子を描いた1883年(明治16年)当時の「越中国高岡関野神社祭礼繁昌略図」が見つかった。

形状: 箱獅子

分類: 行道獅子

山車御馬出町の御車山(2015年4月)木舟町の御車山(2015年4月)


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