高山将孝
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

写真家の「高山正隆」とは別人です。

高山 将孝基本情報
階級ライト級
国籍 日本
誕生日 (1945-10-30) 1945年10月30日(78歳)
出身地 中華民国上海市
スタイル右ボクサータイプ
プロボクシング戦績
総試合数29
勝ち22
KO勝ち8
敗け6
引き分け1
テンプレートを表示

高山 将孝(たかやま まさたか、1945年10月30日[1][2] - )は、1970年代前半に活躍した日本プロボクサー中華民国(現中華人民共和国上海市出身[3]。日本ライト級王者。右ボクサータイプ。
経歴

小学生時代からボクシングを始め、1961年の高校1年時に全日本高校選手権フライ級で優勝[4]。1963年10月に開催された東京オリンピックリハーサル大会でフェザー級に出場し、当時17歳の高校3年生ながら決勝でアマチュア全日本王者を破って優勝したことで注目されることになった[2]。高校卒業後は早稲田大学第二商学部に進学[5]し、同大学ボクシング部に在籍[6]

1964年、フェザー級日本代表として1964年東京オリンピックに出場、2回戦で試合を優勢に進めたもののバッティングにより左まぶたを切ってレフリーストップで敗退[7] 。その後ライト級に転向し1966年と1967年に2年連続で全日本ボクシング選手権大会優勝[6]

大学卒業後にピストン堀口道場に入門してプロに転向[3]

1968年3月 - プロデビュー。

1970年1月21日 - 日本ライト級王座獲得。以後5度防衛。

1971年3月3日 - 日本王座2度目の防衛戦。鈴木石松(後のガッツ石松)と引き分け王座防衛。

1973年7月2日 - 日本王座6度目の防衛戦。バズソー山辺に10回判定負けし王座陥落。

1974年2月18日 - 山辺とのリターンマッチに9回KO勝ちし王座奪還。以後2度防衛。

1974年12月21日 - コスタリカサンホセWBA世界ライト級王者ロベルト・デュランパナマ)に挑戦するが、開始50秒でダウンを奪われ1回1分55秒でTKO負けを喫した[8]

1975年5月8日 - 日本王座2度目の防衛戦を10回判定で飾り、試合後に引退を発表。

日本屈指のテクニシャンとして高い評価を受けていた[8]。その技巧を買われ、引退後、アニメあしたのジョー2」の技術アドバイザーを務めたこともある[3]
獲得タイトル

第17代日本
ライト級王座(防衛5度)

第19代日本ライト級王座(防衛2度)

脚注^ “Masakuzu Takayama Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月10日閲覧。
^ a b井上尚弥と天才少年の記憶 18歳で東京五輪出場、高山将孝:コラム 47スポーツ 2012年4月24日
^ a b c 【プロで日本王座も獲ったボクシング選手・高山将孝】が語る東京オリンピック サイゾーpremium 2017年8月22日
^ BOXING BEAT(ボクシング・ビート)2011年12月15日発売号
^ 体育名誉賞年度別一覧【基本データ】 早稲田大学
^ a b早稲田大学ボクシング部公式サイト 歴史欄参照
^ 「高山将孝」 「スポーツ」 「オリンピック」 の写真・画像 共同通信イメージリンク
^ a b 衝撃の1ラウンドKO特集 無念の「挑戦失敗編」 強すぎる王者たち……内藤大助が屈辱から世界獲得 Boxing News(ボクシングニュース)] 2020年6月4日

関連項目

男子ボクサー一覧

ボクシング日本王者一覧

外部リンク



高山将孝の戦績
- BoxRec(英語)

忘れ得ぬ戦士たち

前王者
辻本英守第17代日本ライト級王者

1970年1月21日 - 1973年7月2日次王者
バズソー山辺

前王者
バズソー山辺第19代日本ライト級王者

1974年2月18日 - 1975年5月8日(返上)空位
次タイトル獲得者
ビッグ山龍


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:9 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef