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高山 宏人物情報
生誕 (1947-10-08) 1947年10月8日(76歳)
日本岩手県
出身校東京大学
学問
研究分野文学(英文学)
研究機関東京都立大学 (1949-2011)・明治大学・大妻女子大学
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高山 宏(たかやま ひろし、1947年10月8日 - )は、日本の英文学者、翻訳家、評論家。東京都立大学(首都大学東京)教授、大妻女子大学教授などを歴任。専門は17・18世紀を軸とする英文学で、美術史、表現芸術の文化史の著作・翻訳を多数刊行している。 岩手県生まれ、高知県育ち。生来の弱視(黒サングラスと眼鏡を併用)。 東京大学文学部英文科を卒業、同大学院人文科学研究科修士課程修了。東大大学院ではメルヴィルの『白鯨』で修士号を取得。博士課程には進まず、東大教養学部外国科助手となる[注釈 1]。青土社の月刊誌『ユリイカ』の常連寄稿者になるとともに、東京都立大学助教授、教授、首都大学東京都市教養学部教授を経て、明治大学国際日本学部教授、2014年より大妻女子大学比較文化学部教授。2017年退職し、副学長を務めた。 これらの発想はグスタフ・ルネ・ホッケの影響下にあり、ホッケ及び当人の理解によれば、マニエリスムは古典主義と交替でどの時代にも必ず表れうる時代相であり、一美術潮流に限られるものではないという。
経歴
著作・業績
1976年に最初の訳書、デレック・ハドソン『ルイス・キャロルの生涯』(東京図書)を刊行。1981年にルイス・キャロルを軸にした単著『アリス狩り』を刊行。以後は文学のみならず、美術、建築、文化史、思想史、哲学、デザイン、大衆文学、映画、江戸文化、コミック他諸々の学問領域を「横断」した各種論文、エッセイを執筆。マニエリスムのようなくねるような文体と妄想すれすれの「連想」により、近世以降の主に英語圏を中心とする欧米文化史を、巨視的に捉えつつ修辞を駆使する一連の著述により、各方面に多大な波紋を呼ぶ。異端の人文学者、学魔とも称される。
当初より「マニエリスム」(ルネサンス期とバロックとの間に起きた美術潮流)を著作研究のメイン・テーマに掲げており、「奇想」「異端」というものを常に追い求めてきた。
人物
澁澤龍彦、種村季弘、由良君美などの著作に学生時代から耽溺し、土佐高等学校(42期)から2年浪人して、1968年東京大学文科III類に進むも、学生紛争のまっただ中であった。授業そっちのけで各種文献を読み漁り、とりわけグスタフ・ルネ・ホッケのマニエリスム、ワイリー・サイファーの文化史的手法を自家薬籠中のものとする。助手時代には、数万枚におよぶ図書カードをタイプで打ち、手や眼を痛めることにもなった。
都立大再編においては人文学部の文学系学科をとりまとめる中心人物のひとりであり、表象文化論分野の創設を担ったが、明治大学に新設された国際日本学部に就いた。