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高山 善廣
プロフィール
リングネーム高山 善廣
本名高山 善廣[注 1]
ニックネーム帝王
和製ブルーザー・ブロディ
身長196cm[1]
体重125kg
誕生日 (1966-09-19) 1966年9月19日(57歳)
出身地東京都墨田区
所属高山堂
スポーツ歴ラグビー
アメリカンフットボール
トレーナー高田延彦
大江慎
ジャイアント馬場
デビュー1992年6月28日
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高山 善廣(たかやま よしひろ、1966年9月19日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、俳優。東海大学付属相模高等学校、東海大学文学部文明学科卒業。東京都墨田区出身。血液型O型。個人事務所「高山堂」に所属。マネジメントは ⇒ハイタイド。 高校時代はラグビー部に、大学時代はアメリカンフットボール部に所属する[2]。湘南海岸でライフガードのアルバイトをしていた、元ライフセイバーでもある。 20才の時に大学を休学して、第1次UWF(興行活動停止後の新日本プロレスとの業務提携時代)の入門テストに合格する。入門するもラグビー時代に負った肩の負傷が再発したことを言い出せず、一か月弱で脱退する。のちにライフガードのアルバイト中、UWFの先輩である宮戸優光と偶然再会したことから交流を続けたが、当時の新生UWFブームは傍観した。 大学卒業後はフジサンケイグループで営業職として勤務したが、プロレスラーの夢を諦められず、宮戸に声を掛けられ旗揚げ間も無いUWFインターナショナルに再入門し、1992年6月に金原弘光戦でデビューする。 1995年10月9日に始まったUインターvs新日本プロレスの対抗戦の流れから、安生洋二、山本健一と「ゴールデン・カップス」を結成する。 8月17日に、Uインター神宮球場大会で行われたバーリトゥード戦でキモと対戦し、チョークスリーパーで一本負け[注 2]する。 9月11日に、Uインター神宮球場大会で全日本プロレスの川田利明と対戦が実現するも、ジャンピング・ハイキックで敗れる。 12月のUインター解散後、Uインター関係者が立ち上げた受け皿団体のキングダムに移籍する。 1997年3月に、前年に敗れた川田利明を追い、フリーランスとして全日本プロレスに参戦。ゲーリー・オブライトと組んで、メインイベントで川田、田上明組の世界タッグに挑戦するも敗れる。 1999年5月、後追いで参戦していた垣原賢人と共に、全日本プロレスの正式所属選手となる。大森隆男・浅子覚と「NO FEAR」を結成する。当初は大森・高山のみで、浅子は後に合流する。史上初となる世界タッグ王座とアジアタッグ王座の同時制覇する。 2000年、三沢光晴らと共に全日本プロレスを脱退し、プロレスリング・ノア旗揚げに参加。発足会見では「倒し甲斐のあり、踏みつけ甲斐のある強い選手が揃っているので、ボクはこっちで頑張ろうと決めました」と述べた。 2001年、PRIDE参戦を機に再びフリーランスとなり、個人事務所「高山堂」を立ち上げる[注 3]。フリーとしての高山は、継続参戦するノアを中心に、新日本プロレスやその他団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦した。 2002年6月23日のPRIDE.21で、ドン・フライとお互いが相手の首に手をかけて避けずに殴り合う壮絶な戦いを繰り広げ、顔が変形するほどの凄惨な試合となり、最後は上からのマウントパンチの連打を喰らいTKO負け。格闘技ファンにも知られるようになり、現在でも語り草となっている。また、この後ギャラが大幅にアップしたという。本来、フライの対戦相手はマーク・コールマンだったが負傷欠場し、高山へのオファーは試合の10日前という緊急参戦であった。[3] 同じ頃、浅子の怪我による引退や大森との喧嘩別れもあって、NO FEARを解散。以後、同ユニットの合言葉だった「いくぞ、ノーフィアー」を、解散後も高山が使用したため彼の代名詞となる。NO FEARとしての入場テーマ曲だった「DESTRUCTIVE POWER」も、高山が引き続き使用した。 2002年9月7日、小川良成を破りGHCヘビー級王座を奪取。高山自身初のシングルタイトルとなった。 新日本プロレスにおいて、2003年にIWGPヘビー級王座(永年空位だったNWFの二冠を制覇した時期もしばらくあった。)を獲得。その後、高山は鈴木みのると「外敵タッグ」を結成。鈴木とのタッグチームは2008年の健介オフィスでの秋山準・佐々木健介組に敗れるまで無敗であった。(試合は健介が高山をピンフォールした。) 2004年2月1日、北海道立総合体育センターで鈴木と組み、天山広吉・西村修組からIWGPタッグ王座を奪取する。
来歴
プロレス入門 - 挫折
UWFインターナショナル
全日本プロレス
プロレスリング・ノア
高山堂
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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