高山勝成
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高山 勝成基本情報
本名高山 勝成
通称ライトニングキッド
階級
ライトフライ級
身長158.5cm[1]
リーチ158cm[1]
国籍 日本
誕生日 (1983-05-12) 1983年5月12日(41歳)
出身地大阪府大阪市
スタイル右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数44
勝ち34
KO勝ち12
敗け9
無効試合1
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高山 勝成(たかやま かつなり、1983年5月12日 - )は、日本プロボクサー大阪府大阪市出身。元WBC世界ミニマム級王者。元WBA世界ミニマム級暫定王者。元IBF世界ミニマム級王者。元WBO世界ミニマム級王者。日本人として初めて主要四団体(WBA・WBC・IBF・WBO)で世界戴冠を果たした人物[2][3]
人物

JBC傘下時代は、所属をエディタウンゼントジムからグリーンツダジムを経て真正ボクシングジムへと渡り歩いた。2009年11月16日付でJBCの傘下選手としてのライセンスを失い、トレーニングのためにフィリピンと日本を行き来しながら[4]IBF・WBOの世界タイトル奪取を目標としていた[5]

2013年3月30日にメキシコシナロア州グアサベでマリオ・ロドリゲスに3-0の判定勝ちを収めIBF世界ミニマム級王座を獲得し、日本人として初めてWBA・WBC・IBFの3団体で世界戴冠を果たし[6][7][8]1984年4月15日にIBF世界バンタム級王座を戴冠した新垣諭以来2人目のIBF王者となった。

JBC離脱後は山口賢一の大阪天神ジムを練習拠点にしていたが、IBF世界ミニマム級王座獲得後に仲里義竜ボクシングジム所属でJBCからのライセンスの再交付を待ち、2013年7月12日にJBCからライセンスの再交付を受けJBC復帰を果たすと共に日本人初のJBC公認のIBF王者となった[9][10][11][12]。これらの全キャリアを通して、トレーナーは中出博啓[13][14]

現在、寝屋川石田ボクシングクラブ所属。

入場曲はKISSの "DETROIT ROCK CITY"。
来歴

鶴橋中学校在学中は陸上部ラグビー部を掛け持ちしていた。
JBC傘下時代

中学2年時に友人に誘われジムを見学したのをきっかけに、地元のエディタウンゼントジムに入門。本格的にボクシングを始める。

2000年10月18日、プロデビュー戦に4回2分42秒TKO勝利を収めた。

2001年12月5日、6連勝で西軍代表として全日本ライトフライ級新人王を山崎光洋(埼玉池田)と争い6回3-0(59-56、60-54×2)の判定で下し、タイトルを獲得。

2002年10月14日、元WBA世界ミニマム級暫定王者ソンクラーム・ポーパオインタイ)を8回2-0(79-74、78-76、78-78)の判定で降し、世界ランク入り。

2003年4月21日、日本ライトフライ級王者畠山昌人(協栄札幌赤坂)にタイトルマッチ初挑戦も、9回2分34秒の逆転TKO負けで王座奪取ならず。その後、グリーンツダに移籍。
WBC世界王座獲得

2005年4月4日、世界初挑戦。WBC世界ミニマム級王者イサック・ブストスメキシコ)を12回3-0(117-111、117-112、115-113)の判定で降し、王座獲得。日本国内ジム出身50人目の世界王者となった。

2005年8月6日、元王者のイーグル京和角海老宝石 タイ出身)を相手に初防衛戦を行うも、12回0-3(111-119、113-117、112-116)の判定に敗れ、王座陥落。この後、引退することも考えたが、所属ジムの社長の勧めでタイへ旅行し、ジムの同僚のセコンドを務めたりするうちに現役続行への意思を固め、ケビン山崎の指導下で体幹トレーニングなどを取り入れた[15]

その後、2005年12月3日に再起を果たした。

2006年3月18日、日本ミニマム級王座決定戦で小熊坂諭新日本木村)を9回2分8秒の負傷判定3-0(87-85×2、87-86)で破り日本王座獲得。元世界王者の日本王座獲得は三原正に次ぎ2人目。同王座は防衛戦を行わないまま6月16日に世界挑戦のため返上した[16]

2006年9月2日、後楽園ホールでWBA世界ミニマム級王者新井田豊横浜光ジム)に挑戦する予定であったが、王者新井田が8月26日のスパーリング中に左肋軟骨を骨折し、新井田戦は2007年4月7日に延期となった[17]
WBA世界暫定王座獲得

2006年11月7日、WBA世界ミニマム級暫定王座決定戦で、1位のカルロス・メロパナマ)を圧倒し、9回1分30秒の負傷判定3-0(90-81×2、90-82)でタイトルを獲得した[18]

2007年4月7日、後楽園ホールにてWBAミニマム級正規王者新井田豊と統一戦を行うものの、12回1-2(113-115、115-114、113-114)の判定で敗北し、王座から陥落した[19]。直後際どい判定を不服とし引退を表明したが[20]、6月に引退を撤回し再起を表明。同試合で得られる予定であったファイトマネー350万円中330万円が支払われず、グリーンツダジムをJBCへ訴えた。JBCの聞き取りの結果、グリーンツダジムには負債があり支払い能力が無いことが判明、JBCはこの結果、通常のライセンス更新期限(3年)を待たずしての移籍金なしのフリーエージェントでジム移籍を認める異例の決定を下した。

2007年10月2日、同日にプロ加盟申請が受理された真正ジム山下正人会長)への移籍を果たし[21][22]、10月6日には移籍後の再起戦としてフィリピン国内ランカーのファビオ・マルファと対戦し10回3-0(100-91×2、99-92)の判定勝ちを収めた[23]

2008年1月5日、タイミニマム級王者のガオフラチャーン・シッサイトーンに9回1分24秒TKO勝ち[24]

2008年4月28日、フィリピンミニマム級4位のマーティン・キラキルに9回3分8秒TKO勝ち[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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