高容姫
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コ・ヨンヒ
高 容姫
???
生誕 (1952-06-26)
1952年6月26日
日本 大阪市生野区鶴橋
死没 (2004-08-13) 2004年8月13日(52歳没)
フランス パリ
政党朝鮮労働党
配偶者金正日
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高容姫
各種表記
チョソングル:???
漢字:高容?
発音:コ・ヨンヒ
日本語読み:: こう ようき
: こう ようき
MR式
2000年式
英語表記:Ko Y?ngh?i
Go Yeonghui
Ko Young-hee
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高 容姫(コ・ヨンヒ、: ???、1952年昭和27年〉6月26日 - 2004年主体93年〉8月13日[注釈 1])は、朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の人物。同国の最高指導者であった金正日の愛人の一人であり、金正日からは日本風に「あゆみ(???)」と呼ばれ、最も寵愛を受けていたとされる。金正哲金正恩金与正の実母である。

長らくその名前は「高英姫」として伝えられていたが、2015年に妹(高英淑)の夫がメディアのインタビューで、高英姫ではなく「高容姫」であると訂正している(日本語表記ではどちらも「ヨンヒ」であるが、朝鮮語の発音は異なる[1])。
人物・略歴

1952年6月26日、大阪市生野区鶴橋にて朝鮮人の父、高京澤 (Ko Gyon-tek, 1913年8月14日-1999年)と母、李孟仁(Lee Maeng-in, 1913年8月3日-?)との間に生まれた在日朝鮮人二世[2]。日本名は高田姫(タカダ ヒメ)[3]。北朝鮮の公式見解では、済州道済州市生まれということになっている。

1962年、9歳のときに両親とともに北朝鮮の咸鏡北道に移住した[1]。その後、平壌芸術大学に入学し、1971年頃には万寿台芸術団に入って舞踊家として活動した。1972年、「功勲俳優」の称号を受けている[1]1973年7月から9月にかけての万寿台芸術団の日本公演の際には、芸術団の一員として「柳日淑(リュ・イルスク、???)」の芸名で日本を訪問している[1][4]。日本に向けて出発する団員たちを前に、金正日は以下のように訓戒したという[4]

皆さんは、敵地(日本)に行くのだから警戒心を高めなければならない。革命時代を生きる芸術人らしく生活は質素に、身なりや化粧も素朴にしなければならない。

高容姫はこのとき「祖国のチンダルレ」や「扇の舞」「牧童と処女」で主役を務め、フィナーレで記念撮影する際は舞台中央に立った[4]
金正日の伴侶に

1970年代半ば、「喜び組」の接待役の1人となった。そこで金正日に見初められて、彼の「3番目の妻」となった。きっかけは金正日の秘密パーティーに参加して、彼の横に座ったことだったという[5]1977年ごろ、金正日と同居を始め、1981年金正哲1984年金正恩1988年金与正をもうけた[6]2001年に亡命してアメリカに渡った妹の高英淑は、当時、高容姫の子どもたち全員の世話をしていた[6][注釈 2]。高容姫が次期指導者として党と軍で昇進を重ねる金正日の付き添いで多忙をきわめていたからである[6]。なお、高英淑の証言によれば、金正恩は母高容姫が「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と叱ると食事をしなかったという[7][注釈 3]

美しい踊り子から実質的なファースト・レディとなった高容姫は、同時にたいへんな野心家でもあった[8]。彼女は子ども時代の金正恩を「金星大将」と呼んでいた[8]。高容姫と子ども時代の金正恩が一緒に写っている写真には、大将位をあらわす肩に四つ星の軍服を着た、頬の赤い6歳くらいの正恩将軍と、彼の方に身を乗り出している母の姿がみえる[8]モスクワに長期間滞在し、体調をくずして気分のすぐれない状態がつづいた成尢ヤに対し、高容姫は金正日のそば近くにいて伴侶として寵愛を受けた[9][10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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