高取町
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たかとりちょう 
高取町
高取城跡(天守台と杉の巨樹)


高取町旗高取町章
1967年11月25日制定

日本
地方近畿地方
都道府県奈良県
高市郡
市町村コード29401-2
法人番号7000020294012
面積25.79km2

総人口6,251人 [編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度242人/km2
隣接自治体橿原市御所市高市郡明日香村吉野郡大淀町吉野町
町の木カエデ
町の花ツツジ
高取町役場
町長[編集]中川裕介
所在地635-0154
奈良県高市郡高取町大字観覚寺990番地1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度26分58秒 東経135度47分36秒 / 北緯34.4495度 東経135.79322度 / 34.4495; 135.79322座標: 北緯34度26分58秒 東経135度47分36秒 / 北緯34.4495度 東経135.79322度 / 34.4495; 135.79322
町庁舎位置
外部リンク公式ウェブサイト

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高取町(たかとりちょう)は、奈良県中部高市郡に位置する
地理町並み土佐街道夢創舘(観光案内所)

山: 高取山

河川: 高取川、吉備川、曽我川大和川水系)

隣接している自治体

橿原市

御所市

高市郡

明日香村


吉野郡

大淀町

吉野町


歴史
古代

飛鳥の南に位置しており、町内にも古墳が多数見られる。また、飛鳥から吉野紀伊に通じる道の途上にあたる位置でもあった。渡来人東漢氏がこの地域に定着した。『日本書紀』には、676年に高取山周辺の森林伐採を禁止する記述(日本最古の保安林的制度)が見られる[1]。ことから、古くから周辺の人口集中を支える地域として発展していたことが窺える。

またこの地に波多郷も有り波多氏一族が住んでいた。『日本書紀』推古天皇20年(612年)5月5日条に“薬猟(くすりがり)をして後、羽田に集い、引き続いて朝廷に赴いた”という記述がある。

この時の羽田を『和名類聚抄』では大和国高市郡波多郷としている。また『大同類聚方』によると、高市郡の波多神社には新羅伝来の「志路木藥」が伝わる。

『和名抄』に大和国高市郡波多郷は後世、波多庄を称し、至徳三年(1386年)文書に畑庄と見ゆ、(高取町市尾から羽内の辺り及び明日香村南部まで)波多郷稲淵山との記述が有る『五郡神社記』。

『大日本地名辞書 上方』には「波多《ハタ》郷 和名抄、高市郡波多郷。今高取村舟倉村是なり。霊異記に高市郡波多里、又今昔物語高市郡八多郷に小島小寺ありと見ゆ、小島は今高取村に大字存す」とある。

また波多神社[2]の有る冬野の麓には畑という地名が残るのでこの辺りまで波多郷であったと思われる。
中・近世

大和国内で有力であった越智氏の勢力圏に属する。越智氏の本城は貝吹山城(橿原市との境に位置)であったが、その支城として高取山城が築かれていた。越智氏は北部の筒井氏とたびたび対立していたが、これに敗れ衰亡していく。

豊臣秀吉の弟秀長が大和の国主となり郡山城に入ると高取周辺もその領地となり、高取山城も改修の手が加えられ日本三大山城に数えられる高取城が姿を見せた。なお同城には秀長の家臣本多氏が入った。

江戸時代には引き続き本多氏が続くも断絶、天領の時期を経て譜代植村氏が2万5千石で封ぜられる。この高取藩は一時分知により2万500石となるが再度加増を受け2万5000石に復帰、明治維新まで続いた。
近代

江戸時代末に起こった天誅組事件の舞台の一つとなる。五條代官所を襲撃した天誅組の一団が高取城を目指し進撃するも高取藩兵の迎撃を受け敗退、吉野方面に退却していった。
沿革

1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、高取村・壺阪村・上子島村・下子島村・清水谷村・土佐町・土佐村・観覚寺村の区域をもって高取村が発足。

1891年(明治24年)6月3日 - 高取村が町制施行して高取町となる。

1954年昭和29年)10月1日 - 船倉村越智岡村と合併し、改めて高取町が発足。

町域の変遷

明治22年明治25年昭和29年現在
奈良県
高市郡
高取村高取町高取町
船倉村
越智岡村

行政

現町長:中川裕介
令和2年11月29日?。前任の植村家忠が在職中に死去した事により行われた選挙で当選)[3]


町議会:議員定数8名[4]

衆議院議員選挙の選挙区は「奈良県第3区」、奈良県議会議員選挙の選挙区は「高市郡・橿原市選挙区」(定数:4)となっている[5]

歴代町長

筒井良盛 - 2008年1月7日、大阪地検特捜部業務上横領容疑で筒井良盛を逮捕した。

植村家忠 - 4期(12年7か月)。起訴された前町長の筒井良盛の辞職に伴う出直し町長選で初当選した。令和2年10月14日、在職中に死去。植村氏は江戸時代に2万5000石の高取藩を治めた藩主・植村氏の子孫。[6]。死後、旭日小綬章および叙位正五位)を受章した[7]


経済高取町くすりの資料館
産業

農業、林業、薬

町内に本社を置いている企業

医薬品製造「薬の町」

池尻製薬


近畿医薬品製造

共立薬品工業

米田薬品工業

太陽堂製薬

新生薬品工業

豊島製薬

中村薬品工業

関西薬品工業

高取薬業連合会(高取製薬工業組合、高取配置薬組合、医薬品卸同好会の三者からなる)

高取製薬工業組合

医薬品卸売

錦寿堂

アイアール

西川栄寿堂

大一薬品

奥村正永堂薬房


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