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高原 兄
出生名高原 茂仁
別名アーニィ、グレート高原
生誕 (1959-04-10) 1959年4月10日(65歳)
出身地 日本・富山県富山市
学歴名古屋商科大学卒業
ジャンルロック
J-POP
コミックソング
職業シンガーソングライター
作曲家
タレント
会社社長
担当楽器ボーカル
活動期間1980年代 - 活動中
高原 兄(たかはら けい、本名:高原 茂仁(たかはら しげひと)、1959年4月10日 - )は、日本のシンガーソングライター・タレント・実業家。高雄電設株式会社代表取締役社長。愛称は、アニィー、グレート高原など。富山県富山市出身。 高岡日本大学高等学校 (現:高岡向陵高等学校) 卒業後、名古屋商科大学在学中に、フォークソング同好会のメンバーと共に「アラジン」を結成。グレート高原としてリーダー兼ボーカルを担当。実は高原自身はポール・モーリア、小椋佳といったメロディアスな音楽に傾倒かつ志向しており、完全にシャレのつもりで作った曲「完全無欠のロックンローラー」がポプコンおよび世界歌謡祭でグランプリを受賞。そのまま同曲でデビューし大ヒットとなるも後が続かず、2年ほど活動したのち1983年に解散。 アラジン解散後、ニッポン放送『ヤングパラダイス』のパーソナリティに抜擢される。「若者に慕われる兄貴分のような存在として売り出したい」という局側の狙いもあり、現在の芸名高原兄に改名したが、富山弁が抜けない喋りが問題視され[1]、10ヵ月で三宅裕司に代わられてしまう。一度は芸能界から身を引くことも考えたが、名古屋テレビ『オジャマンないと!』(1984年 - 1994年)に起用され番組終了までレギュラーを務めた。 最初の頃は来る仕事を選んでいたが、1991年に子供(一人娘)が生まれたことによって「(子供を)何とかしなくちゃいけない」と仕事を選ばずにやっていった結果、自ずと仕事がうまく回るようになったという。 2000年11月に電気工事会社を経営していた父親が死去し、会社を継ぐため地元の富山県へ帰郷。現在はローカルタレントとして富山に根を下ろして活動しており、県内のテレビやラジオ、イベントに数多く出演し、好評を博している。 島田紳助とはアラジン時代に『オレたちひょうきん族』に出演したことがきっかけで親交があった。紳助のTBSラジオ『スーパーギャング』(1988年4月 - 1989年3月)のレギュラーや、1990年に結成された島田紳助&バスガス爆発楽団への加入、フジテレビ系列『クイズ!ヘキサゴンII』や日本テレビ系列『人生が変わる1分間の深イイ話』で紳助がプロデュースしたユニットの楽曲の作詞(紳助)・作曲(高原)コンビを組むことが多かった。また性格について「いい奴。彼のいいところは人の悪口を1回も言わないこと」と高原を評している。 羞恥心については、下積みをしていない自分とは違って、下積みをやっているので礼儀正しくしっかりしていると評価。またつるの剛士に対してはお笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル直後にもかかわらず、レコーディングでの歌唱力の良さを評価、上地雄輔に対しては知り合いに頼まれ丁寧にサインを求めた所「何言ってるんですか、高原さんのためだったら何枚でも書きますよ」と言ったエピソードがある。 堀江淳とドロップアウターズを結成したが、業界ではウケたものの、世の中に出ることはなかった。 紳助作詞の「南の島」(香田晋が『おかあさん』のカップリングとして「南の島?友へ?」のタイトルでカバー。羞恥心も同じタイトルでカバーしており、アルバム『WE LOVE ヘキサゴン』に隠しトラックとして収録)や、CD化はしていないが、富山競輪CMソング「リンリンとやまケイリン
来歴
その後KNBラジオ『高原兄の5時間耐久ラジオ 長て長てこたえられんが』の企画で2006年6月17日KNB第3スタジオで再結成し、抽選に応募したリスナー(全員)の前でライブを行った。
また、鈴鹿8時間耐久ロードレースでは毎年トークショーやミニコンサートなどのステージイベントに出演、このことからモータースポーツファンから「8耐男」として親しまれていた。また紳助作詞の『風よ、鈴鹿へ』は鈴鹿8耐イメージソングとして歌われている。
2002年7月7日、アラジンの再結成同窓会ライブの際にもボーカルとして参加。
2011年8月27日放送分の『5時間耐久ラジオ』内で8月23日に芸能界引退した島田紳助について語った。
2009年に南砺市、2011年に舟橋村の歌を作曲した。2014年に発表された黒部宇奈月温泉駅の発車メロディも高原が作曲したものとなった[2]。2017年には、富山県警察の特殊詐欺被害防止のための「だまされんちゃ県民応援団長」に就任。被害防止ソングも作詞作曲した[3]。2018年3月、地域に根ざした作曲家として評価され、富山新聞社第48回芸術賞を受賞した[4]。