高千穂遙
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ペンネーム小田原 浩二
誕生竹川 公訓(たけかわ きみよし)
(1951-11-07) 1951年11月7日(72歳)
愛知県名古屋市
職業小説家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴法政大学社会学部卒業
活動期間1977年 - 現在
ジャンルサイエンス・フィクション
ライトノベル
ファンタジー
ノンフィクション
代表作『クラッシャージョウ』シリーズ
ダーティペア』シリーズ
主な受賞歴第11回星雲賞・日本短編部門賞(1980年)
第17回星雲賞・日本長編部門賞(1986年)
デビュー作『クラッシャージョウ 連帯惑星ピザンの危機』(1977年)
公式サイト ⇒Takachiho-Notes
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高千穂 遙(たかちほ はるか、1951年11月7日 -)は、日本小説家SF作家)、脚本家、漫画原作者。男性自転車通勤自転車通学コミック「じてつう」原作者としては小田原浩二を名乗る。愛知県名古屋市生まれ。本名は竹川公訓(たけかわ きみよし)。
概要

スタジオぬえを主催して日本にSFアートを定着させたこと、また、日本初の本格的なスペースオペラ作品を書いた作家として知られる。また、『美獣』はやはり日本初の本格的ヒロイック・ファンタジーであり、栗本薫を刺激して『グイン・サーガ』を執筆させることとなった。

2007年10月から2009年10月まで日本SF作家クラブの会長を務め、あわせて日本SF評論賞の審査員も務めていた。2023年4月現在は、日本SF作家クラブの会員名簿に名前がない[1]
略歴

実家は注文紳士服店。友人の和田慎二からインバネスコートが欲しいのに入手困難であると聞かされ、父親に作らせて贈ったこともある[2]

愛知県立名古屋西高等学校時代は漫画家志望だった。

大学在学中の1970年に、松崎健一を会長として発足したSFアートのファングループ「SFセントラルアート」の創立に参加。

1972年、有限会社クリスタルアートスタジオ(のちのスタジオぬえ)を設立し、初代代表に。アニメーションの企画・脚本を担当。

1975年法政大学社会学部卒業。

1976年、「SFセントラルアート」の主催で、第15回日本SF大会(TOKYON6)を開催。

1977年クラッシャージョウ 連帯惑星ピザンの危機』で作家デビュー。

1980年ダーティペアの大冒険』で星雲賞(日本短篇部門)受賞[3]

1986年『ダーティペアの大逆転』で星雲賞(日本長編部門)受賞[3]

人柄・エピソード

永井豪のファンクラブの初代事務局長であった。同じく初期メンバーだった団龍彦と共にダイナミック・プロに出入りし、永井の話相手になっていたが、当の永井自身はプロレス観戦などでチケットから呑み代までたかられていたと『激マン!デビルマン編』で明かされている。

元来、SFアートを手がけていたこともあり、SF小説におけるヴィジュアル面の重要性を活動初期から強く認識しており、『クラッシャージョウ』『ダーティペア』の表紙には、自らの希望で当時アニメーターだった安彦良和を起用している。

『めざめてMic』(作画:瑞原芽理)、『サザンクロスキッド』(作画:石川賢)、『サルタン防衛隊』(作画:高寺彰彦)、『銀河拳獣無宿伝リュウ』(作画:服部健吾)など漫画原作も多数手掛けている。

歯に衣着せぬ強気のSF論客としても知られ、1980年代前半にSFファンの間で多用された『SFマインド』という概念を語る際には、その時代の代表的な人物として避けては通れない人物である。ただし、この際には当時の若手・中堅世代における守旧派のSF論客の代表的な存在としてであり、高千穂がコラムなどで展開した主張は『機動戦士ガンダム』や『宇宙戦艦ヤマト』などの諸作品でSF論争が広がる一因にもなった。この際に用いられた「○○(作品名)はSFではない」という断定的かつ攻撃的な論調でも知られる。また、当時「SFまんが」の第一人者として一般大衆から認知されていた松本零士について、松本が編集顧問を務めたムック『SFファンタジア 6 マンガ編』において「SF漫画家としては噴飯物」とこきおろしている。

1980年代に富野由悠季と行った対談の冒頭で「OUTに文章を書くと、ファンにやたらと富野さんをいじめないでといわれるよ。さすがにカミソリは来ないけど…(笑)」と述べている[4]

SF以外にも格闘技プロレスに造詣が深く、そのペンネームはプロレスラーザ・グレート・カブキがかつて名乗っていたリングネーム高千穂明久と、同じくプロレスラーの永源遙から採ったものである。代表作の一つ『ダーティペア』のネーミングは人気女子プロレスラーのビューティ・ペアから、所属組織WWWAの名称も全日本女子プロレスが管理する選手権の名称から採られている。この他、『無敵超人ザンボット3』の悪役、「キラー・ザ・ブッチャー」のキャラクター原案とネーミングも行った。アニメ『闘将ダイモス』では、主役ロボットの武器である三節棍トンファーなどの作画指導として、自らが演武を行っている。

パソコンで執筆する作家にはワープロ派とエディタ派がいたが、エディタ派で、VZ Editorのユーザとしても有名で、多くのプログラマ達とともに「VZ倶楽部」に筆を寄せている。

草創期のパソコン通信にも興味を持ち、『月刊アスキー』でも長い間連載を行っていた。連載の中で、ペンネームの「遙」は二点之繞が正しいのだが、彼の執筆環境であるEPSON PCシリーズで入力した文字を、JIS83字形に対応していないPC-9800シリーズで表示させると、文字が存在しないことを表す「■」(通称:トウフ[5])が表示されてしまい、「高千穂■」(たかちほトウフ)になってしまったというエピソードを紹介している。同様に購入した機器が悉く不良品に当たったことも多く、CDアルバム『ダーティペア FLASH ユリ&ケイ 天使の休息』のドラマパートでネタにされている。

1990年代前半頃、角川書店が運営する『コンプティークBBS』という草の根BBSで「茶房てくにか」という架空の喫茶店を主催し、そこでは「おぢさん」というハンドルネームを用いていた(新井素子をパソコン通信に誘ったのは高千穂であり、新井の著書『もとちゃんの夢日記』は「てくにか」で発言した内容を本にしたものである)。現在「てくにか」はメーリングリストにて運営されている。

趣味人としても有名で、一つ事に凝るとそれを追求するタイプである。スキーやバイク、パソコン、ロードレーサーなどを趣味にしている。毎日、多摩川沿いを往復50km走っているという。昔はスリムな感じであったのが、徐々にスポーツマンタイプの小太りという感じに変化していたが、頸の怪我でヘルメットをかぶれなくなりバイクとスキーを断念して後、中年太りという感じになっていた。一念発起してダイエットに挑戦、非常にスリムになった。

趣味の一つである自転車を題材とした小説、「ヒルクライマー」は架空の自転車大会・赤城山ヒルクライムが舞台であるが、小説が好評であったこと、また前橋市が健康増進の企画を練っていた事もあり、 ⇒赤城山ヒルクライム大会として実現し、今も関東圏で人気の市民レースとなっている。


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