この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "高倉登"
この記事は大言壮語的な記述になっています。Wikipedia:大言壮語をしないを参考に修正して下さい。(2019年4月)
高倉 登(たかくら のぼる、1932年10月15日- )は、日本競輪選手会・埼玉支部に所属していた元競輪選手。日本競輪学校ができる前に選手登録された期前選手(登録番号は851)。埼玉県出身。競輪初期の名レーサーとして名を刻んだ。 1951年8月、ホームバンクの大宮競輪場で開催された第1回全国都道府県対抗争覇競輪(全国都道府県選抜競輪)の6000メートル競走で初の特別競輪(現在のGI)制覇を果たし、同年10月に大阪中央競輪場で開催された第5回全国争覇競輪(日本選手権競輪)では、1着入線の高橋恒の失格による繰り上がりながらも優勝を果たす。ちなみにこの当時、高倉は18歳であったが、現在もなお日本選手権競輪における最年少優勝記録を保持している。 翌1952年、高倉は更なる快進撃を続ける。同年5月に開催された第6回全国争覇競輪(川崎競輪場)では完全優勝を果たし、同大会の連覇を達成。続く6月に開催された高松宮同妃賜杯(高松宮記念杯競輪)でも完全優勝を果たした。そして、続く8月に福岡競輪場で開催された第3回全国都道府県対抗争覇競輪6000メートル競走でも優勝を果たし、史上初の特別競輪3連覇を達成した。 わずか2年の間に5つのタイトルを奪取。ファンやマスコミの間からは天才・高倉ともてはやされた。またルックスも抜群だったことから、女性の「おっかけ」まで出現したという。またこの年の賞金王(3,743,000円)にも輝いた。しかしながら、高倉の栄光の時代は事実上ここまでであった。 高倉といえば、今や伝説ともいうべきエピソードが尽きない。 当時の競輪では「普通競走」という、競走種目があった。要は「トップ引き」という、風圧の犠牲になる選手が必要であったレース形態であったが、高倉はトップを引いてなおかつ逃げ切って勝ったことがあった。トップを引いた選手は最後は力尽き、集団から大きく引き離されて末着でゴールする形になるのが普通であるというにもかかわらずである。しかもそうしたケースは一度ではなかったという。この高倉に対抗できる選手といえば、「燕返し」の異名を誇った山本清治であり、1951年のGIタイトルは山本が3つ(高松宮賜杯、全国争覇競輪、競輪祭)、高倉が上記の2つと、ほぼ2人でタイトルを分け合った。 一方、高倉のそうした強さへの対抗策として生み出されたといわれるのが、「弾丸熊坂」のニックネームを持つ、東京の熊坂克己 にもかかわらずその後の成績が振るわなくなったばかりか、私生活の面でも乱れが生じ始め、トップから転落してしまった。1954年の第7回全国都道府県対抗争覇競輪(高松競輪場)の2000メートル競走でこそ優勝を果たしたが、これが高倉が掴んだ最後のGIタイトルとなってしまった。以後は一般戦などの下位レベルのレースでは時折往時の強さを発揮したものの、トップクラスでは通用しなくなってしまった。1978年に引退。通算勝利数は739勝であった。 もっとも、高倉自身、最盛期の頃は世界自転車選手権に出場したいという夢を持っていて、全国競輪施行者協議会が発行していた会報誌、「PR+S」誌上にて、世界の舞台において自分の走りを試したかったと述べている。また全盛期の高倉を知るファンや関係者からも、高倉の強さは驚愕だったという声もいまだ聞かれ、今もなお、伝説のレーサーと称されている。 1980年大宮公園を散策中にドロボーの叫び声を聞いて追跡、取り押さえ久々に新聞に登場した。内容は各紙一様に元競輪選手の快足ぶりを書き立てたものだった。 阿佐田哲也はエッセイに埼玉の若手選手に聞いた話として、高倉登は落ちぶれて大宮公園でホームレスをしていると書いた。直後にある競輪関係の催しで高倉登と遭遇して別のエッセイで訂正した。 業績
経歴
天才・高倉
数々のエピソードと転落
脚注[脚注の使い方]
関連項目
競輪選手一覧
表
話
編
歴
日本選手権競輪優勝者
1940年代
49・第1回(甲規格):横田隆雄 (乙規格):横田隆雄
49・第2回(甲規格):横田隆雄 (乙規格):小林源吉
1950年代
50 宮本義春
51・第4回 山本清治
51・第5回 高倉登
52・第6回 高倉登
52・第7回 宮本義春
53 中井光雄
54 松本勝明
55 松本勝明
56 坂本昌仁
57 佐藤喜知夫
58 吉田実
59 石田雄彦
1960年代
60 吉田実
61 開催中止
63 西地清一
64・第17回 笹田伸二
64・第18回 石田雄彦
65 笹田伸二
66 宮路雄資
67 平間誠記
68 吉川多喜夫
1970年代
70・第23回 工藤元司郎
70・第24回 荒川秀之助
72 河内剛
73 阿部道
74 田中博
75 高橋健二
76 新井正昭
77 小池和博
78 藤巻清志
79 山口健治
1980年代
80 吉井秀仁
81 中野浩一
82 中里光典
83 井上茂徳
84 滝澤正光
85 清嶋彰一
86 滝澤正光