高井麻巳子
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たかい まみこ
高井 麻巳子プロフィール
別名義秋元 麻巳子(現姓)
生年月日1966年12月28日
現年齢57歳
出身地 日本福井県小浜市
血液型O型
公称サイズ(1986年時点)
身長/体重157.5 cm / 44 kg
BMI17.7
スリーサイズ80 - 58 - 83 cm
カップサイズB
備考靴サイズ:23.5 cm
単位系換算

身長 / 体重5 3 / 97 lb
スリーサイズ31 - 23 - 33 in

活動
ジャンルアイドル
所属グループおニャン子クラブ
活動期間1985年 - 1988年
著名な家族秋元康(夫)
高井雅代(姉)
アイドル: テンプレート - カテゴリ

高井 麻巳子(たかい まみこ、1966年12月28日[1] - )は、日本の元アイドル[2]。株式会社秋元康事務所監査役。夫は作詞家秋元康福井県小浜市出身[3]

1985年昭和60年)より女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』のメンバーで、会員番号16番として芸能活動を行っていた。女子美術短期大学卒業[4]
略歴

1985年(昭和60年)、福井県立若狭高等学校を卒業。高校時代は、取り立てて目立つ言動はしない生徒であったが、明るく快活な性格で友人も多数おり、人気者であった。ミス若高(じゃっこう)と呼ばれていた[5]。高校卒業後、美術大学への進学を目指して予備校に入学すべく上京。同年4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー「ザ・スカウトアイドルを探せ!」の出場者をスカウトする企画で、原宿を歩いている時に伊藤克信にスカウトされる。同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、117点を獲得して合格しおニャン子クラブ会員番号16番としてデビュー。同年9月、おニャン子クラブから初のソロデビューとなった河合その子のキャンペーンに「with おニャン子クラブ」として帯同。同年10月、岩井由紀子(ゆうゆ)と2人で『うしろゆびさされ組』を結成、アニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌『うしろゆびさされ組』でユニットデビュー。

1986年(昭和61年)6月、『シンデレラたちへの伝言』でソロデビュー[6]、オリコン初登場1位を獲得。うしろゆびさされ組の活動と並行してシングル、アルバムを定期的に発売。

1987年(昭和62年)4月、おニャン子クラブを卒業、女優として連続ドラマに出演するなど活動の幅を広げる。忌野清志郎のファンであることを音楽誌のインタビューで語り、それを契機にRCサクセションのアルバム『COVERS』にゲスト参加。

1988年(昭和63年)4月29日、ファンクラブ結成記念コンサート『Single's』をよみうりランドEASTで行う。同年5月23日、おニャン子クラブの仕掛け人である秋元康と結婚、突然芸能界を引退[注 1][注 2][注 3]。その後すぐに渡米、1年半ほどニューヨークに滞在、秋元との新生活を始める。

2001年(平成13年)3月、長女を出産。

2004年に秋元康が『メレンゲの気持ち』に出演した際に自身が自宅の様子をビデオカメラに撮影した様子が映り、その際には16年ぶりのテレビ出演を果たした。
人物

4人姉妹の次女
[4]。実家は自転車販売店[注 4]。姉はフジテレビの音楽番組 『夜のヒットスタジオ』などで活動していたダンスチーム「Dee-Dee」の高井雅代。同番組に歌手として出演した高井が歌唱する前、司会の芳村真理井上順(のちに古舘伊知郎)が姉がバックで踊ることについて尋ねることもあった。『夕やけニャンニャン』で共演していたとんねるずも番組内で姉がDee-Deeであることを幾度となくネタにしていた[要出典]。

デビュー前からチェッカーズの大ファンで、特に藤井尚之が憧れの男性であると公言していた。レコード会社の担当ディレクターがチェッカーズの担当でもあったため、鶴久政治から楽曲提供を受ける機会を得た[注 5]。とんねるずやチェッカーズとは2023年時点でも交流があり夫と共に複数のメンバーで会食をした際には木梨と藤井フミヤもいた[7]

おニャン子クラブ在籍中、映画『恋する女たち』に出演。同い年である主演の斉藤由貴と親友になり[注 6]、後に一緒にニューヨーク旅行などもしている。その際の珍道中を、斉藤の対談番組で夫の秋元康が楽しそうに暴露したことがある。高井もテレビ番組「斉藤さんちのお客さま」や、斉藤の著書『由貴的世界感情旅行』(角川書店)のあとがきに寄稿している。斉藤の著書「私の好きなあの人のコト」(新潮社)に、高井の結婚にまつわるエピソード(世間では“プロデューサーが商品に手を出した”などと言われたが、実際は高井の方が積極的であったことなど)を含めたさまざまな話題が記されている。

小学校の時は足が速くてかけっこではいつも1位であった。中学ではソフトボール部に入っていたが、レギュラーにはなかなかなれなかったものの、足の速さを買われ度々試合に出場していた。

結婚後は表立った活動はなかったが小説の挿絵などを手がける。結婚後の活動はすべて「秋元麻巳子」名義。

かつて尊敬する人物として豊臣秀吉田中角栄田中絹代の名を挙げていた[8]

秋元康が猿岩石に詞を提供する際に用いたペンネーム「高井良斉」は、「高井は良妻」をもじったものと言われている。

FUJIWARA藤本敏史ペナルティヒデがかつて大ファンだったと発言している。

作品
シングル

発売日品番面タイトル作詞作曲編曲
1986年6月25日7A0597A
シンデレラたちへの伝言売野雅勇八田雅弘Light House Project
Bこわれかけたピアノ秋元康高橋幸宏岩倉健二
1986年9月21日7A0631Aメロディ沢ちひろ明日香清水信之
B時のつげごと八田雅弘
1986年12月21日7A0673A約束売野雅勇
B春は名のみ麻生圭子
1987年3月18日7A0698Aかげろう沢ちひろ
B眠りのオペラ森本抄夜子明日香
1987年6月10日7A0736A情熱れいんぼぅ沢ちひろ八田雅弘
B夕暮れのピアノ森本抄夜子明日香
1987年9月21日7A0770Aうそつき麻生圭子


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