高井戸(たかいど)は、東京都杉並区にある地名。現在の町丁名では、上高井戸一丁目から三丁目まで、高井戸西一丁目から三丁目まで、高井戸東一丁目から四丁目まで、下高井戸一丁目から五丁目まで存在する。 杉並区の最南部に位置する地域。現在の町名では上高井戸、高井戸西、高井戸東、下高井戸の4地域に分かれる。京王井の頭線富士見ヶ丘駅から京王線下高井戸駅、京王線八幡山駅の範囲の地域である。
地理
隣接する自治体
世田谷区
地域内の町名
高井戸東
高井戸西
下高井戸
上高井戸
歴史「高井戸町」も参照
旧石器時代 - 高井戸東遺跡(高井戸東三丁目)のローム層から出土した石器から、紀元前3万年ころに、人類が住んでいたことが確認される。
縄文時代中期 - 塚山遺跡(下高井戸五丁目)から、この時代の土器が出土する。
1559年(永禄2年) - 北条氏家臣の領地であった。
安土桃山時代 - (旧)高井戸村は上高井戸村・下高井戸村の二村に分かれた。
1602年(慶長7年) - 甲州街道が建設され、高井戸宿という宿場町となった。
1604年(慶長9年) - 高井戸宿は上高井戸宿・下高井戸宿の二つとなる。
現在の首都高速4号線と甲州街道の交差部、一里塚の案内板がある辺りが下高井戸宿、その西、環八通りと交わる辺りが上高井戸宿であった。
1652年(慶安5年) - 玉川上水が開削された際、立ち退きをせまられた7件の農家が別の土地に移り住んで開拓し、中高井戸村
村としては上高井戸、高井戸西、高井戸東が上高井戸村、下高井戸と浜田山が下高井戸村、松庵の一部が中高井戸村の範囲である。
明治2年2月9日(1869年3月21日)- 品川県所属となる(品川県新設)。
明治4年11月14日(1871年12月25日) - 東京府所属となる(東京府新設)。
明治5年1月22日(1872年3月1日) - 神奈川県所属となる(神奈川県編入)。
8月19日(9月21日) - 東京府へ再編入。
1873年(明治6年)3月18日 - 東京府第8大区5小区所属となる(朱引外大小区改正)。
1878年(明治11年)7月 - 東京府東多摩郡所属となる(郡区町村編制法施行)。
1879年(明治12年) - 大区小区制が廃止され、上高井戸村および下高井戸村は2村による連合村となり、大宮前新田、中高井戸村、松庵村、久ヶ山村は4村による連合村となる(東京府数町村連合会規則による連合村。)。
1889年(明治22年)5月1日 - 東多摩郡上高井戸村、下高井戸村、大宮前新田、松庵村、久我山村および中高井戸村が合併し、東多摩郡高井戸村となる。
1896年(明治29年)4月1日 - 豊多摩郡高井戸村となる。
1926年(大正15年)7月1日 - 町制施行し、豊多摩郡高井戸町となる。
この頃、当地での四谷丸太の植林が終了する。
1932年(昭和7年)10月1日 - 東京市杉並区に新設合併される。
1954年(昭和29年) - 上水道が敷設され、村山貯水池から送水される。
1969年(昭和44年) - 当地区に住居表示が実施され、上高井戸一?三丁目、高井戸西一?三丁目、高井戸東一?四丁目、下高井戸一?五丁目が成立(上高井戸と高井戸西は3月1日、高井戸東と下高井戸は7月1日の成立)。
施設
杉並清掃工場 - 建設に際し周辺住民の大規模な反対運動が、最終処分場を有する江東区民の感情を傷つけ、杉並区から発生するごみの受入を実力で阻止した、東京ゴミ戦争の発端となったことで知られる。
杉並区立高井戸小学校
杉並区立高井戸東小学校
杉並区立高井戸中学校
日本年金機構本部(旧社会保険庁業務センター)
高井戸温泉 美しの湯
高井戸遺跡
塚山公園
浴風会本館 - 内田祥三、土岐達人の設計。1926年竣工。2001年、東京都選定歴史的建造物に指定された。
芝田山部屋 - 第62代横綱:大乃国康が創設した相撲部屋
企業
日本ヒューレット・パッカード ※本社があったが、2011年に江東区へ移転
アジレント・テクノロジー高井戸オフィス(昔のHPの半導体部門)※2006年に撤退
ミサワホーム株式会社本館
山崎製パン杉並工場
ケンコーマヨネーズ本社
交通
京王井の頭線
首都高速道路高井戸出入口
中央自動車道高井戸出口
国道20号(甲州街道)
東京都道14号新宿国立線(東八道路)
東京都道311号環状八号線(環八通り)
人見街道
井ノ頭通り
上高井戸一丁目交差点(甲州街道と環八通りの交差点)
外部リンク
⇒杉並区
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