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テンプル騎士団の制服(戦闘服ならびに僧服)
騎士団(きしだん、英語:Chivalric order)は、十字軍時に設立された騎士修道会、及びそれを模して各国の王・貴族が作った騎士とその附属員から構成される団体である。前者はローマ教皇によって認可された修道会の一種であり、構成員は修道士になることが前提となる。後者は実際の軍事集団としてより、名誉・儀礼的な意味合いが強く、後にヨーロッパの勲章システムに受け継がれていく。
本項目においては、橋口(1994)の分類に従い、主に歴史上著名な騎士団について列記し、それ以外は「その他」に示す[1]。各騎士団の設立年についてはLawrence-Archer(1887)に従う事とし、伝承上(伝: Apocryphal)の設立年と記録上(記: Authentic)の設立年を併記する[2]。 12世紀に第一次十字軍が占領した聖地エルサレムを守備するために、修道士となった騎士の集団としてテンプル騎士団が創設されたことを始まりとして、主に中東地域での活動を目的として騎士修道会が組織されていった。騎士修道会はローマ教皇により認可された修道会であり、各騎士は修道誓願を立てた修道士でもあった。彼等は私有財産の保有を禁じられ、一生の独身を誓い、克己、犠牲、清貧、服従の美徳に生きた[3]。 騎士修道会は中世を通し、聖地エルサレムの防衛のみならず、レコンキスタやプロイセンへの入植における中核的戦力として歴史的に重要な役割を果たした。しかし、エルサレムが失われ十字軍運動が失敗すると、騎士修道会の存在意義も薄れていった。詳細は騎士修道会を参照。 14世紀にはいると軍事方式も変わり、長弓、弩弓を持つ歩兵の重要度が高まり、騎士の重要性は薄れていった。しかし、騎士の軍事的実用性が失われると、却って名誉としての騎士の意識が高まり(騎士道精神)、アーサー王伝説の円卓の騎士や騎士修道会への憧れが強まった。そこで、力のある王や貴族が名誉システムとして、あるいは友愛組織として騎士修道会を模した騎士団(世俗騎士団)を設立するようになった。 その一部は、現在も各国の騎士団勲章として現存している。
騎士修道会(宗教騎士団)
国際的騎士団
純軍事的
テンプル騎士団(記1119年設立)
既存の修道会からの昇格
聖ヨハネ騎士団(伝1048年、記1070年設立 後のマルタ騎士団)
聖ラザロ騎士団(伝370年、記1104年設立 後の聖マウリツィオ・ラザロ騎士団)
既存修道会の所管
アヴィス騎士団(伝1143年、記1147年設立)
アルカンタラ騎士団(記1214年設立)
カラトラバ騎士団(伝1147年、記1158年設立)
国家的騎士団
ドイツ騎士団(記1191年設立)
聖墓騎士団(伝326年、記1192年設立)
世俗騎士団ガーター騎士団員(エドワード黒太子)
イングランド王国
ガーター騎士団(記1348年または1344年設立)
フランス王国
聖ミカエル騎士団
聖霊騎士団