軌道線
昭和戦前期の伊豆箱根鉄道軌道線(沼津市内)
概要
現況廃止
起終点起点:三島町停留場
終点:沼津駅前停留場
駅数最多時20、廃止時16
運営
開業1906年11月28日 (1906-11-28)
廃止1963年2月5日 (1963-2-5)
所有者駿豆電気鉄道→富士水力電気→駿豆鉄道→駿豆鉄道箱根遊船→駿豆鉄道→伊豆箱根鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長6.582 km (4.090 mi)(最長時)、
5.9 km (3.7 mi)(廃止時)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径19 m (62 ft)
電化直流600 V 架空電車線方式
最急勾配33.3 ‰
テンプレートを表示
停留場・施設・接続路線
凡例
交換可能停留場
*印の停留場は路線廃止以前に廃止
車庫[注釈 1]
0.000三島町*
0.657三島広小路
車庫[注釈 1]
車庫[注釈 1]
6.582沼津駅前
東海道本線
三島町駅(現・三島田町駅)での軌道線の電車と本線の蒸気機関車(元・北海道炭礦鉄道15号形)牽引の列車。1914年の軌道線乗り入れ中断前か、1919年の再開後の撮影のどちらかは不明。
軌道線(きどうせん)は、静岡県三島市の三島町停留場から沼津市の沼津駅前停留場までの間を結んでいた伊豆箱根鉄道の軌道路線(路面電車)である。島津線とも通称された[1]。1906年(明治39年)11月に開業し、1963年(昭和38年)2月に廃止された。
東北東から西南西へ、ほぼ全長にわたって東海道の街道上に敷設されていた[注釈 2]。 1896年(明治29年)5月、小柳津五郎、仁田大八郎、渡辺万介、贄川邦作ら地元有力者が発起人となって駿豆電気株式会社が三島に設立された。駿豆電気は函南村に水力発電所を建設し静岡県内初の電力会社となり、その後神奈川県にも進出していった。 明治時代後期になると、余剰電力を利用し電気鉄道事業を始める電力会社が多くなった。駿豆電気もブームに乗り、1905年(明治38年)11月に軌道敷設工事に着手、1906年10月には「駿豆電気鉄道株式会社」に社名を変更、同年11月28日に沼津停車場前から三島六反田(後の三島広小路)に至る電気鉄道を開業させた。沼津停車場前 - 三島六反田間の途中に19か所の停留場が新設され、そのうち玉井寺前・黄瀬川・山王前の3か所に交換設備が設置された。開業初日は無料開放され電車は満員。また、来賓の静岡県知事を乗せ開業式へ向かう沼津発の電車が途中で故障し、結局知事は徒歩で開業式へ向かったというエピソードも残されている。 その後、第2期線として三島市内線が計画された。そして1908年(明治41年)8月3日に三島六反田から久保町を経由し伊豆鉄道三島町駅の駅前へ至る軌道線が開業した。しかし、伊豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道駿豆線)との平面交差が許可されなかったため、三島六反田 - 沼津駅前間の線路と三島六反田 - 三島町間の線路は、三島六反田にある伊豆鉄道の踏切で分断されていた。しばらくして平面交差が許可されたため、同年末に三島町 - 沼津停車場前間の直通運転が開始されている。第2期線では三島六反田 - 三島町間の路線のほかにも、久保町から東海道を直進し三嶋大社近くの伝馬町へ至る路線の計画があったが、実現しなかった。 1912年(明治45年)4月、経営が思わしくなかった伊豆鉄道から、現在の駿豆線が駿豆電気鉄道に譲渡された。そのため、三島六反田 - 三島町間で同じ会社の鉄道線と軌道線が並走する形になり、軌道線の同区間は1915年(大正4年)1月18日付けで廃止された。一旦廃止された三島町乗り入れだが、1919年(大正8年)5月に実施された鉄道線三島 - 三島町間の電化に伴い軌道線の三島六反田から分岐する連絡線が建設され、鉄道線に乗り入れる形での三島町駅乗り入れが再開された。同時に、開業以来三島六反田の近くに設置されていた車庫が三島田町駅構内に移設された[注釈 1]。
路線データ
路線距離:最長6.582 km、廃止時5.9 km
軌間:1067 mm
停留場数(両端駅含む):最多時20、廃止時16
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:全線(直流600V)
歴史