駿州往還
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『富嶽三十六景 身延川裏不二』における駿州往還

駿州往還(すんしゅうおうかん)は、甲斐国山梨県)と駿河国静岡県)を結ぶ街道のひとつ。なお、「駿州往還」とは甲斐側からの呼び方で、本来は東海道側(静岡側)からの甲州往還(こうしゅうおうかん)が正式な呼称。(後述)
地理

甲府から中道往還とともに五街道の一つである甲州街道から分れ南下。途中山之神(現在の中央市)にて笛吹川を目指して南下するルートと南西へ進み釜無川を渡るルートに分かれる。笛吹ルートは笛吹川を渡り、右左口にて精進湖方面へ南下する中道往還と分かれた後は黒沢河岸を経由し富士川の東岸を進むのに対し、釜無ルートは追分(現在の南巨摩郡富士川町)にて韮崎市方面から南下してきた西郡路(にしこおりじ)と合流し、鰍沢河岸を経由し富士川の西岸を進む。西島(現在の南巨摩郡身延町)で分かれていた二つの道は合流し、その後はほぼ富士川の西岸を進んでいく。甲斐国と駿河国の境にある万沢(現在の南巨摩郡南部町)にて興津(現在の静岡市清水区)へ向かうルートと岩淵(現在の富士市)へ向かうルートに再度分かれ、さらに岩淵へ向かうルートは芝川にて由比宿へ向かうルートに分かれる。いずれのルートも五街道の一つである東海道と合流する。
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別名

「駿州往還」には様々な別名があり、上述の「甲州往還」のほか近世の史料用語としては峡南地方の別名である「河内領」を通ることから「河内路」(かわうちじ)がもっぱら用いられ、付近に身延山久遠寺があり、区間の一部は参拝客が多く往来することから「身延路(みのぶみち)」と呼ばれることもある。また、富士川沿いを通っていることから「富士川街道」(ふじかわかいどう)とも呼ばれることがあるが、駿州往還のうち富士川街道と呼ばれるのは甲斐国の追分から万沢までの区間であり、追分以北は駿州往還ではなく西郡路の部分を富士川街道と呼ぶ。
東河内路

駿州往還の脇往還である東河内路は岩間村(市川三郷町)において駿州往還から分岐し、岩間・常葉・帯金・大島・内船など富士川左岸の東河内領を通過し、駿河国稲子(静岡県芝川町)で富士川を渡河し、再び駿州往還と合流する道。別称に駿州脇往還・大宮往還。現在では岩間から稲子間にJR身延線が通過している。
宿場

軍事面や物流面で重要な街道であった上身延山への参拝客などで利用者が多かった一方で、後述の難所が点在していたことから宿場も短い区間で設けられている。また、これらの宿場町は軍事路や富士川水運の経由地でもあったことから花火市川花火)、和紙西嶋和紙市川和紙)、足袋(岩間足袋。現在は消滅したがかわりに印章が発達)、雨畑硯)、建設(下山大工)、日本茶南部茶)や増穂のユズなど地場産業が発達している。なお、穴山信君伝馬手形写では岩間、下山、南部、万沢、内房が伝間宿として記されている。
宿場町が形成された地区
河内路・身延道(興津ルート)
鰍沢河岸-興津宿の間は、現在の
国道52号がほぼ同じルートで通っている。

甲府宿山梨県甲府市)-甲州街道交点。

市川大門宿(山梨県西八代郡市川三郷町

鰍沢宿(鰍沢河岸)(山梨県南巨摩郡富士川町)- 富士川水運の港町。

岩間宿(山梨県西八代郡市川三郷町)

西島宿(山梨県南巨摩郡身延町

切石宿(山梨県南巨摩郡身延町)

八日市場宿(山梨県南巨摩郡身延町)

飯富宿(山梨県南巨摩郡身延町)

下山宿(山梨県南巨摩郡身延町)

身延宿(山梨県南巨摩郡身延町)- 身延山久遠寺門前町

南部宿(山梨県南巨摩郡南部町

万沢宿(山梨県南巨摩郡南部町)

宍原宿静岡県静岡市清水区

興津宿(静岡県静岡市清水区)-東海道五十三次交点。

岩淵ルート


万沢宿(山梨県南巨摩郡南部町)

内房宿(静岡県富士宮市


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