駐在武官
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駐在武官(ちゅうざいぶかん)とは、在外公館に駐在して軍事に関する情報交換や情報収集を担当する武官のことである[1]。通常は軍人としての身分(軍服を着用して帯剣階級を呼称する)と外交官としての身分(外交官として外交特権を有する)を併有する[2]。軍事アタッシェやミリタリーアタッシェ(Military attache / Military attache / Defense Attache)あるいは軍人外交官ともいわれる。

日本では、第二次世界大戦以前は帝国陸軍海軍から派遣され、「○○国在勤帝国大使館附陸軍武官」及び「○○国在勤帝国大使館附海軍武官」等と呼称した。

1954年(昭和29年)以降現在の日本では、防衛省(旧:防衛庁)からの自衛官の派遣となり、現在は「防衛駐在官」と呼称する。
活動内容

19世紀頃より各国において、駐在武官制度が認められるようになる[2][3]。外交事務の中でも、特に軍事分野における交流の促進と、軍事情報の合法的な収集を目的とする。そのため、軍高官等との面談や各国武官団との情報交換等を行っている[2]。派遣者の階級は、多くの場合、大佐ないし中佐級(現代日本では一佐・二佐)が派遣されており[3]接受国からは、大使・公使に次ぐ待遇を受ける[2]。また、大使等と同様にアグレマンが必要である。

駐在武官は、軍事情報の合法的な収集を任務とするが、非合法なスパイ活動に関与していたことが発覚することもある。GRUの駐日ロシア大使館付武官のビクトル・ボガチョンコフ海軍大佐が、防衛庁防衛研究所に勤務する3等海佐から、秘密文書2件を受け取っていたことが発覚し、2000年(平成12年)9月に当該3等海佐が逮捕され、ボガチョンコフ大佐が日本を出国する事件があった(ボガチョンコフ事件)。事件後、防衛庁では、防衛局調査課に情報保全企画室を、各幕僚監部調査部調査課に情報保全室を設置したほか、各自衛隊の調査隊を情報保全隊に改組した。一方日本では、1987年(昭和62年)8月ソ連駐在の防衛駐在官が、2002年(平成14年)11月には中国駐在の防衛駐在官が、不適切活動の廉(やはりスパイ行為の疑い)で駐在国外務省からペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)を通告されている。
アメリカの駐在武官制度

アメリカ合衆国の駐在武官(Defense Attache)は、アメリカ合衆国国防総省国防情報局(DIA)が活動の調整を行っている[4]。軍種間の重複や非効率を防ぐため、DIAが調整を行う方式は、1965年から採用された[4]。駐在武官は、大使館内の駐在武官室(Defense Attache Offices,DAO)に勤務し、アメリカの軍事部門を代表しての活動や、駐在国の軍との調整、軍事情報の収集、大使館における軍事アドバイザーを務める[4][5][6]。アメリカ沿岸警備隊からも駐在武官が派遣されている[7]

アメリカは1889年から駐在武官をロンドンやパリなどに、恒久的な派遣を開始し、第二次世界大戦終戦直後には45ヶ国へ派遣、1956年には71ヶ国へ166名を派遣していた[8]

派遣要員は、事前に統合駐在武官学校(Joint Military Attache School,JMAS)において、語学や安全確保を含む研修を受けるが、ここでは家族向けの研修も開講されている[9]
日本の駐在武官制度
第二次世界大戦前

日本では、1875年(明治8年)に国公使館付陸軍武官が派遣されたのを皮切りに[2]、第二次世界大戦終結前までは、主要国に駐在武官が派遣されていた。1941年(昭和16年)頃の派遣国はアメリカ・イギリス・ドイツをはじめとして、陸軍は16ヶ国、海軍は20ヶ国に派遣している[2]。正式な職名としてはたとえば「米国在勤帝国大使館附陸軍武官」(或いは海軍武官)で、大使館の組織内に設けられた陸軍部や海軍部の長を務め、大規模な大使館では補佐官を複数名配置した(昭和16年の時点で陸軍にはイギリス・ドイツ・ソ連・イタリア・中国・タイ・メキシコの9カ国に補佐官が配置されている)。語学に堪能であることが要請されるので特定の語圏に同一人物が派遣されることや、接受国人との個人的親交関係が貢献するので同一国の武官補佐官経験者が武官として派遣されることも多い。陸軍では陸軍大学校を経て参謀畑を歩む佐官クラスで経験することが多く、海軍ほど有名ではないが後の陸軍首脳陣の相当数も駐在武官等としての海外体験がある。

中には大島浩駐独武官のように特命全権大使に昇格する例外的人事も存在した。第二次世界大戦後の陸海軍解体に伴い、駐在武官制度も廃止された。

陸海軍の駐在武官は、それぞれ参謀総長(陸軍)または軍令部総長(海軍)の指揮下にあり、外務省の指揮下にはなかった[2]。駐在武官が参謀本部または軍令部から指示を受けて活動することで、二元外交の弊害が生じたこともあったとされる。駐在武官は通信に外務省暗号を使用せず陸軍・海軍それぞれの暗号を使用していた。これらの事から戦後の防衛駐在官制度は諸外国の大使館付武官制と比べて規制が多くなっている。

陸軍では在外公館に勤務するいわゆる「駐在武官」の他に、陸軍技術本部駐在官と陸軍航空本部駐在官という制度があった。これはそれぞれ兵器技術や航空技術の交流や情報収集の為に配置されていたが、アメリカやイギリスのように大使館に駐在武官補佐官が配置されている場合は兼任する例も見られる。

イギリス植民地であったインドには当然大使館はないが、「印度駐箚武官」が任命されている。また、国際連盟の常設委員会に軍部から代表を派遣した。正式名称は「国際連盟陸海空軍問題常設諮問委員会に於ける帝国陸(海・空)軍代表者」で、「国際連盟陸(海・空)軍代表」と通称された。代表は少将級で、空軍代表は陸海軍から交替で任命され後に何れかが兼任した。代表には佐官級の「代表随員」が附属した。

駐在武官に関する法令としては次のものなどがあった。

外国駐在視察陸軍武官給与令(明治29年勅令第68号。明治30年6月19日勅令第216号により廃止。)

外国駐在陸軍武官給与令(明治30年6月19日勅令第216号。明治30年10月1日施行。)

外国駐在陸軍武官ノ旅費ニ関スル件(大正7年5月1日勅令第112号。即日施行。)

外国駐在海軍武官手当金規則(明治32年3月27日勅令第72号。明治32年4月1日施行。)

防衛駐在官制度詳細は「防衛駐在官」を参照

現行の「防衛駐在官」制度は、1954年(昭和29年)に発足し、陸海空の自衛隊より自衛官が派遣されることとなった。外務大臣及び在外公館長の指揮監督下にあるが、自衛官の身分も併せ持つ。「外務職員の公の名称に関する省令」により「在外公館に勤務し、主として防衛に関する事務に従事する職員」を防衛駐在官と呼称している。「防衛庁出身在外公館勤務者の身分等に関する外務事務次官防衛庁次長覚書」(昭和30年8月8日)では戦前の反省から、一般の在外公館勤務者と比して、防衛駐在官の制約が大きく、防衛庁との直接連絡を行わないことも規定されていた[10]。その後、防衛駐在官制度が十分に確立され、自衛隊の役割が拡大してきたことに鑑みて「防衛駐在官に関する覚書」(平成15年5月7日)が締結された。新覚書では、旧覚書と同様に防衛駐在官の階級呼称・制服着用権を定め、また外務大臣等からの指揮監督についても「他の在外公館勤務者と同様に」の文言が入り確認的な表現となっている。防衛駐在官の本国への連絡通信についてはなお外務省経由のものとなるが、防衛駐在官の防衛情報を外務省防衛省に自動的かつ確実に伝達する協約となった。なお、この際に防衛駐在官の対外的呼称を「一等書記官(又は参事官)兼防衛駐在官」ではなく、「防衛駐在官・1等陸(又は海・空)佐」とできるように運用も改められた。なお、防衛駐在官以外に防衛省出身のシビル・アタッシェ(自衛官以外の防衛省職員)や留学生も派遣されている。

派遣先は徐々に増えており、1979年には22ヶ国[11]であったが、2013年1月1日時点では、49名(陸23名・海13名・空13名)が、38カ所の在外公館に派遣されている[12]。国際儀礼にならい、通常は1佐(三)が防衛駐在官に補職されるが、米国首席防衛駐在官は将補(二)が指定される(平成23年8月5日以降、首席防衛駐在官は空将補)。


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