首都月支国[1]
元首等
xxxx年 - xxxx年不明
変遷
不明xxxx年xx月xx日
馬韓
各種表記
ハングル:??
漢字:馬韓
発音:マハン
日本語読み:ばかん
ローマ字:Mahan
テンプレートを表示
馬韓(ばかん)は、紀元前2世紀末から4世紀中葉に、朝鮮半島南部に存在した部族集団である三韓の一つ。帯方郡の南、黄海に接し、東方は辰韓(後の新羅)、南方は弁韓に接していた。後の百済と重なる場所にあった地域である。
馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。それぞれの馬韓諸国には首長がおり、大きな首長を臣智(しんち)と言い、それに次ぐものを邑借(ゆうしゃく)と呼んだ。
集落に城郭は無く、五十余国が存在した。通説では、その内の伯済国がのちに百済になったと考えられている。
『後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦の遺民がおり、馬韓人はその東の地を割いて、彼らに与え住まわせたという。また、『三国志』魏書弁辰伝によると、馬韓人と辰韓人は言語が異なっていたという。 『三国遺事』[2]によると、「魏志云。魏滿撃朝鮮。朝鮮王準率宮人左右。越海而南至韓地。開國號馬韓。」 『魏書』[3]によると、「侯準既僭號稱王,爲燕亡人衛滿所攻奪,將其左右宮人走入海,居韓地,自號韓王。」 『後漢書』には「初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。(初め、朝鮮王準が衛満に滅ぼされ、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を攻めて、これを撃ち破り、韓王として自立した。)」と記されており、衛満が箕子朝鮮を滅ぼした際に箕子朝鮮の最後の王、準王は数千人を率いて逃亡し、馬韓を攻め落として韓王となって馬韓を支配した。
建国