まの つるこ
馬野 都留子
本名馬野 つる(まの つる)
生年月日 (1909-03-11) 1909年3月11日
没年月日不詳年
出生地 日本 東京府東京市(現在の東京都)
職業元女優、婦人運動家
ジャンル新劇、軽演劇、劇映画(現代劇・時代劇、トーキー)、テレビ映画
活動期間1932年 - 1965年
配偶者佐賀 憲
主な作品
『ゴジラ』
『空の大怪獣 ラドン』
『クレージー作戦 先手必勝』
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馬野 都留子[注釈 1](まの つるこ[1][2]、1909年〈明治42年〉3月11日[1] - 没年不詳)は日本の元女優、婦人運動家である[1][3][2][4][5]。本名は馬野 つる(まの つる)[2]。ムーランルージュ新宿座などを経て映画界に転向、戦中・戦後にかけて東宝映画、東宝の作品に多数出演した名脇役である[1][2]。夫は放送作家の佐賀憲[1]。特技はなぎなた[1][3]。 1909年(明治42年)3月11日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる[1][3][2]。 常磐松実践女学校(現在の実践女子学園中学校・高等学校)を卒業後、女優を志し、1932年(昭和7年)に友田恭助、田村秋子らによって組織された築地座
来歴・人物
1943年(昭和18年)以降、第二次世界大戦の戦局悪化により、出演記録が一時途絶えるが、終戦後の1947年(昭和22年)1月14日に公開された斎藤寅次郎監督映画『婿入り豪華船』から再び映画に出演[1]。以後も東宝の専属俳優として、1954年(昭和29年)11月3日に公開された本多猪四郎監督映画『ゴジラ』など、多数の作品に脇役・端役出演した[1][3]。1963年(昭和38年)、新宿区議会議員選挙に立候補したが、あえなく落選[1]。引き続き映画出演を続けていたが、1965年(昭和40年)8月25日に公開された松山善三監督映画『戦場にながれる歌』に出演したのを最後に東宝を退社し、芸能界からも引退した[1]。
引退後は婦人運動家に転向し、全国映画演劇労働組合婦人部長をはじめ、民社党婦人対策委員会委員、日本婦人教室の会(後の日本民主婦人の会)会計委員、同会常任幹事を歴任[4][5]。町の浄化運動や身体障害者の励ましに尽力し、その功績を讃えて1981年(昭和56年)4月1日、第10回赤松常子賞を受賞した[4][5]。晩年の馬野の消息は伝えられていない[1][3][4]。没年不詳。
出演作品
東宝映画東京撮影所(1939年、並木鏡太郎監督) - 浪曲の下座[注釈 2]
雲月の九段の母(1940年、渡辺邦男監督)
ロッパの駄々ッ子父ちゃん(1940年、斎藤寅次郎監督) - 乗客
蛇姫様(1940年、衣笠貞之助監督) - 五兵衛女房・お光
釣鐘草(1940年、石田民三監督) - 女中
ハモニカ小僧(1940年、斎藤寅次郎監督) - 芸者・花勇の母
續 蛇姫様(1940年、衣笠貞之助監督) - お粂
姉妹の約束(1940年、山本薩夫監督) - 婆や
旅役者(1940年、成瀬巳喜男監督) - 一座の人たち
時の花形(1940年、島津保次郎監督)
なつかしの顔(1941年、成瀬巳喜男監督) - 母[注釈 3]