馬蹄
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最も一般的な鉄製の蹄鉄。蹄に鋲で固定される。

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蹄鉄(ていてつ)は、主に(ひづめ)を保護するために装着される、U字型の保護具である。
目次

1 概要

2 役割

2.1 蹄鉄に関する新たな見解


3 歴史

4 日本における蹄鉄

5 魔除けとしての蹄鉄

6 遊び道具としての蹄鉄

7 落鉄

8 脚注

9 関連項目

概要 馬蹄形のホースシューカーブ
(米国ペンシルベニア州)
アメリカ合衆国国定歴史建造物指定)

蹄鉄は蹄の破損を防止し、摩耗を防ぐために用いられる。野生の馬と異なり、家畜の馬は蹄が弱くて摩耗してしまう(詳しくは後述)。これを避けるために蹄鉄が考案された。同様の理由で、ロバや役用の蹄鉄もある(牛蹄鉄)。

はじめに蹄鉄が西洋の文献に現れるのは、4 世紀にギリシア人によってもたらされてからで、様々な品種の馬、および様々な用途のために改良が加えられ、素材も様々なものが使用された。

アルミニウムゴムプラスチック、牛皮、またはそれらを組み合わせた素材で作られる。一般的な素材は鉄だが、日本の競馬においては軽量なアルミニウム合金が用いられている [1]。その他、マグネシウムチタンあるいはが使われることもある。

初期の蹄鉄には滑り止めとしてカルキンスと呼ばれる出っ張りがあった。これは今でもチームペニングといった競技用馬の蹄鉄において見受けられる。

蹄鉄の形状は馬蹄形と呼ばれ、形を表現する語として使われる。代表例として、U字構造をした馬蹄磁石米国ペンシルベニア州鉄道史跡ホースシューカーブ」、コロラド川が馬蹄形に曲がりくねっているアリゾナ州の「ホースシューベンド」がある。
役割

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馬の家畜化に伴い、馬の蹄を保護する馬具が必要となった。以下にその詳細を示す。

栄養価の低い餌野生環境で食べられている雑草や低木には高い栄養価を持つベータカロチンを含んでいる。しかし、耕作によって育てられた餌にはそれらのカロチン が含まれる割合が低い。また、野生動物は多様な餌資源の中から自らの生理要求にしたがって必要とされる栄養素の多い食物を選択しているが、家畜動物は多様性の低い食物を与えられる。蹄は十分な栄養がなければ、頑丈な角質組織として発達できない。さらに、家畜動物は穀類やムラサキウマゴヤシ、牧草といったタンパク質に富んだ濃縮飼料を与えられることもあり、これに起因して蹄葉炎(ていようえん)を引き起こすといわれている。蹄葉炎とは蹄骨を支える蹄壁の葉状層が炎症を起こす病気である。たとえ蹄葉炎を引き起こさなくとも、角質組織と蹄骨との結合は弱くなり、この不自然な食体系は馬の足を弱める一因となる。穀粒、豆類、あるいは青草を多く含んだ牧草は潜在的な蹄葉炎を引き起こす。このことから、蹄鉄は蹄壁を支え、弱く薄い板からなる蹄壁の解離を防ぐために用いられる。
多様性の乏しい環境
野生の馬は様々な地形を歩くので馬の蹄は日々摩滅し、厳しい環境下に置かれ続ける。しかしこういった連続的な刺激作用で、馬の蹄はたこのように厚く、頑丈になっていく。しかしながら家畜化により馬の環境は限定的なものになり、蹄は堅くならず傷にも弱くなる。
過重
人間や積み荷、荷車や貨車によって馬に与える重量と負荷は増加し、蹄の摩耗もいっそう顕著となる。
湿潤気候
馬は本来乾燥したステップ草原に住んでいた。そこに比べ北欧は湿気が多く、粘土質の地面は馬の蹄を弱くする。最初に蹄鉄が実用化されたのも北欧だった。
アンモニアへの接触
野生馬や遊牧で管理されている家畜馬と異なり、馬小屋では馬の蹄は常に尿が微生物によって分解して生じたアンモニアにさらされている。蹄の組織はケラチンタンパク質)がほとんどで、水に溶けると塩基性を示すアンモニアによって加水分解され、弱められる。蹄鉄をつけていればアンモニアから蹄を守ることができる。
遺伝的要因
家畜化することで、自然界の後天的順化因子や先天的な遺伝子の変異に対する淘汰因子を欠き、馬の足は過度に大きく、長く、脆弱かつ柔軟となった。岩、小石や凹凸の激しい地表から、蹄を保護することは不可欠となった。足の軟繊維を痛め、蹄壁に割れ目が生じる危険が常に存在している。
滑り止め
氷の上を走るためのボリアムや滑りやすい地面のための鋲、とがり金、リムといった滑り止めは、馬術競技馬や飛越競走馬、ポロ用の小馬などの余り平坦でない地面を高速で走行する必要のある馬に有益である。
蹄鉄に関する新たな見解

蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄鉄など必要としないことが分かっている。しかし長年の馬小屋での飼育方法と蹄鉄の伝統は、これらの見解によっても容易に変化するものではない。これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
歴史 金弘道の絵による、李氏朝鮮時代の装蹄作業

装蹄の起源については不明な点が多く、いまだに結論は出ていない。ローマ時代、馬の持ち主は、蹄の上に革製のブーツを履かせて紐で縛り付けていた。

中世には金属製の蹄鉄が現れるが、これにはフン族が持ち込んだとする説のほか、ケルト起源説などがありはっきりしない。歴史家の中には中世になってはじめて金属製の蹄鉄が現れたとするものもいるが、ドイツのノイポツ(英語版)近くのローマ時代の遺構から金属製の蹄鉄が見つかっており、それは294年のものだという[2]

いずれの場合にせよ金属製の蹄鉄が一般的に利用されるようになったのは、中世以降のことである。
日本における蹄鉄 歌川広重名所江戸百景』より。明治以前の日本では蹄鉄は使われておらず、馬は専用のわらじを履いていた。

日本では古くから馬沓という藁製の馬蹄保護具が用いられていた。戦国時代に蹄鉄が九州の一部で使われたという記述があるが、元々、日本在来種の馬は蹄が固く、蹄鉄が無くても走行にさほど問題がなかったことから、普及しなかった[3]。また、徳川吉宗はアラビア種の馬を輸入し品種改良を試み、1733年享保18年)には馬術教練士官と装蹄師が来日しているが、既に戦場で駆け回ることもなかったため、このときも蹄鉄は普及しなかった[4]

西洋式の金属製蹄鉄が組織的に使われるようになったのは明治以降のことである[5]。蹄鉄技術は各国から日本に導入された。なかでも陸軍は1873年明治6年)にフランスから装蹄教官を招き、のち1890年(明治23年)にはドイツ人教官を招聘して蹄鉄技術の導入と定着に大きな役割を果たした。明治時代を通じて蹄鉄は全国に広まったが、農山村部に普及したのは大正期である。1890年(明治23年)に蹄鉄工免許規則が制定され、蹄鉄工は国家資格とされた。蹄鉄工の養成は獣医学校や農学校付属の蹄鉄専科でおこなわれ、1年間で卒業して免状を授与された。

蹄鉄の技術は軍隊に欠かせないものであったが、日清日露戦争日本陸軍は蹄鉄工の不足に苦しんだ。日中戦争から太平洋戦争にかけて、陸軍は蹄鉄工を重視していた。役場の兵事係は、蹄鉄技術を持つ民間人を事前に登録、動員時には優先的に召集令状を送って蹄鉄工の確保に努めた。蹄鉄工は軍隊では優遇された存在で、准士官である特務曹長待遇の蹄鉄工長まで昇進できた。蹄鉄工長は獣医学校で短期間学び、獣医になる道も用意されていた。

太平洋戦争敗戦後、GHQの指示で獣医師会が廃止、再編されることになり、1948年昭和23年)、日本装蹄師会も獣医師会と同時に解散した。


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