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馬術(ばじゅつ、英: equestrian art(s))は、馬を乗りこなす術[1]。馬に乗り、馬を御(ぎょ)する技術[2]。馬に乗ってそれをあやつる技術[3]。 もともとは、ユーラシア大陸の草原地帯の民族の間で発達したものと考えられる[2]。 馬を自由に操る馬術は、騎馬戦のための技術として発達してきた[2]。銜(はみ)・鞍・鐙などの馬具の発明も馬術の発達に役立った[2]。紀元前1400年ころヒッタイトのキックリによって馬術書が書かれた[2]。これが最古の馬術書ともされ、5枚の粘土板に楔形文字で書かれており、その内容は戦闘用に馬を調教し、また飼養管理する方法である[2]。 紀元前400年ころに古代ギリシアのクセノポンが馬術書を記した。その内容はほとんどが現代でも通用する内容であり、馬が主人を信頼する召使いとなるよう調教した[2]。なお古代ギリシア時代に続く古代ローマ時代は、著名な馬術家が出ておらず、馬術の暗黒時代とも言われる[2]。 ヨーロッパ中世の騎士も馬を使いこなしたわけだが、騎士は重い甲冑に身につけていたので当時の馬はそれに耐えるよう大型でずんぐりとしていた。その後、火器の発達によって重い甲冑は無用になり、戦術も転換が必要となった[2]。
概説
歴史
ヨーロッパの高等馬術の伝統は、ウィーンのスペイン乗馬学校やフランスのソーミュール国立馬術学校(Le Cadre noir de Saumur)において、現在に至るまで継承されている[2]。
以上の流れとは少し異なるが、イタリアの騎兵大尉フェデリコ・カプリッリ(Federico Caprilli、1868-1907)は、障害飛越や野外騎乗に即した自然馬術方式を考案し、近代スポーツ馬術を創始した[2]。
以上を別の角度から要約しつつ情報を補足すると次のようになる。
ヨーロッパの馬術は古代ギリシアで発達したものを継承したもので[4]、古代ギリシアのクセノポンの馬術に関する著作があり[4]、近代馬術はルネサンス期のイタリアにおいてクセノポンの再評価から始まった[4]。18世紀フランスのド・ラ・ゲリニエール en:Francois Robichon de La Gueriniere)は、この流れを集大成し「近代馬術の父」と呼ばれている。また、19世紀ドイツのシュタインブレヒト(Gustav Steinbrecht)は現在のドイツ馬術全盛の基礎を築いた馬術家として知られている。ゲリニエールやシュタインブレフトの騎乗法・調教法が今日の馬場馬術の基礎をなしている。 日本には4世紀末ころに中国大陸より騎馬の風習が伝わり[3]、6世紀には広まることになった[3]。その後、武芸の一つとして「弓馬の術」が、とくに鎌倉時代・室町時代以降に盛んになり諸流派を生んだ[3]。 明治時代に明治政府は兵制の改革を行い、洋式馬術が行われるようになった[3]。
日本での馬術