馬英九
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馬 英九

総統として公開された公式写真(2008年)
中華民国
第6代 総統
任期2008年5月20日2016年5月20日
副総統蕭万長(12期)
呉敦義(13期)
行政院長劉兆玄
呉敦義
陳冲
江宜樺
毛治国
張善政
中国国民党
第9・11代 主席
任期2005年8月19日 - 2007年2月13日
2009年10月17日2014年12月3日
台北市
民選直轄第2・3代 市長
任期1998年12月25日2006年12月24日
中華民国
第5代 法務部長
任期1993年2月27日1996年6月9日
総統李登輝
内閣連戦内閣

出生 (1950-07-13) 1950年7月13日(73歳)[1]
イギリス領香港 九龍油麻地広華病院
政党 中国国民党
出身校 国立台湾大学
ニューヨーク大学・ロー・スクール
ハーバード・ロー・スクール
配偶者周美青

馬 英九
職業:政治家
各種表記
繁体字:馬 英九
簡体字:? 英九
?音:M? Y?ngji?
ラテン字:Ma Ying-chiu
和名表記:ば えいきゅう
発音転記:マー・インチウ
英語名:Ma Ying-jeou
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馬 英九(ば えいきゅう[2]、マー・インチウ[2]1950年7月13日 - )は、中華民国台湾)の政治家法学博士ハーバード大学)。第6代中華民国総統(12期・13期)を務めた。
来歴
生い立ち

実家は中国湖南省翔潭県馬家堰の近くにあり、西安から数キロメートル、宝鶏市からは約95キロメートル離れている。香港九龍で出生した外省人広東省深?)とする資料もある[3]。5人兄弟姉妹の中で唯一の男児として育てられた。出生後まもない1950年、両親とともに台湾に移住して台北市で育った。身長177.6 cm 体重74.7 kg[4]国立台湾大学法律学院法律系(法学部法学科)卒業。中山奨学金の給付生としてニューヨーク大学・ロー・スクール(修士課程)及びハーバード大学ハーバード・ロー・スクール(博士課程)を修了する。ハーバード大学在学中は『波士頓通訊(ボストン通信)』という国民党系列紙の編集長に就任。博士課程修了後はメリーランド大学法学部研究顧問、ボストン第一銀行法律顧問などを務め、またニューヨーク市内の法律事務所で弁護士として活動するなど法律家としてのキャリアを重ねた。

在外経験から英語に堪能であり、CNN記者との対談も自ら英語でこなした。一方、国民党と敵対する泛緑連盟系の報道機関であるタイペイ・タイムズは、博士論文に1000箇所を超える英語の間違いがあったと主張している[5]

1981年、帰台すると政府によって総統府第一局副局長に抜擢され、主に?経国総統の英語通訳(英文秘書)を担当した。1984年に国民党中央委員会副秘書長、1988年に行政院研考会主任委員兼大陸委員会(陸委会)工作匯報執行秘書、1990年に国家統一委員会研究員、1991年には陸委会副主任委員兼スポークスマンに就任するなど行政経験を積み、同年国民大会代表全国区に国民党候補として選出されている。1993年に連戦が行政院長に就任すると馬英九はその要請を受け法務部長に就任する。

法務部長在任中は、地方の汚職・不正政治資金摘発に辣腕を振るう一方、死刑制度に批判的姿勢を示した。1996年に行政院政務委員に就任している。
台北市長・国民党主席第10回台北国際マラソンでの馬英九(2006年12月17日)

1998年の台北市長選に国民党公認候補として出馬。多くの票を獲得して当時の現職・陳水扁民主進歩党公認・前総統)を破り当選した。2002年に再選され、2006年12月の任期満了まで同職に留まった。台北市長時代は台北市全域の無線LANの整備、下水道整備の普及、スポーツ施設整備などのインフラ整備に力を注いだ。また、士林官邸、七海官邸、孫運?旧邸、李国鼎旧邸、嚴家淦旧邸、錢穆旧邸などの文化財保護事業に力を注いだ。また国民党主席の連戦が辞任を表明すると、党内の高い期待を背景に2005年7月16日に行われた国民党主席選挙に出馬(二回目の党員による直接選挙だが、対立候補が出たのは初めてであった)して、37万5056票を獲得、対抗馬の王金平立法院長(14万3268票を獲得)に大差をつけて第4代国民党主席に選出された。

党主席兼任後2005年末の23県市長選挙では国民党が14、親国民党系も含めると17ポストを獲得するなど地滑り的な勝利を得た。国民党内では若手政治家の筆頭となった馬英九を次期総統選挙で候補に立てる意見が高まったが、出馬意思を表明した2007年2月13日に台北市長時代の首長特別支出費の一部支出について横領容疑で起訴される事件が発生した。これを受けて馬英九は党への影響を避ける為に国民党主席を辞任したが、裁判については争う姿勢を示した。一審の台北地裁(同年8月17日)では無罪判決が下され、同年12月28日の二審(台湾高裁)でも無罪判決が下された。二審までの無罪判決を受け、馬英九は2008年1月3日に起訴した検察官を不当な政治妨害を行ったとして告訴した。

2008年4月24日、台湾の最高裁が検察の上告を棄却したことにより馬英九の無罪が確定した。
中華民国総統
一期目詳細は「2008年中華民国総統選挙」を参照

裁判が続いていた2007年5月2日、国民党中央常務委員会は総統候補として指名する意向を固めた。党内でも裁判中という事から賛否を分けたが、国民党主席も争った王金平立法院長が辞退した為に指名が選択された。6月23日の党大会で正式に国民党の総統候補として公認され、副総統候補には当初王金平を指名したが政治路線が折り合わず、最終的に蕭万長元行政院長を指名している。2008年1月12日、総統選挙の前哨戦とされる第七回中華民国立法委員選挙では、二審で無罪を勝ち取った馬率いる国民党が経済政策の失敗を問われた民進党に圧勝し、単独過半数を確保した。


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