馬渡松子
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馬渡 松子
別名如月-kisa-(2022-)
生誕 (1967-12-17) 1967年12月17日(55歳)
出身地 日本宮崎県北諸県郡三股町
学歴千葉大学教育学部小学校教員養成課程理科専攻)
ジャンルJ-POP
職業歌手作詞家作曲家、音楽プロデューサー、一般財団法人 代表理事、音楽療法カウンセラー、メンタル心理ミュージックアドバイザー
担当楽器ボーカルピアノキーボード、DTM
活動期間1992年 - 現在
レーベルVirgin JAPAN(1992年)
メディア・レモラス(1992年 - 1995年)
Pit' a Pat(1997年 - 2005年)
Lucky Lips(2008年)
COOL WIND(2009年-2013年)
Pit' a Pat(2012年 - 2021年)
Keep right(2022年 - )
公式サイト一般財団法人 Keep right [1]

馬渡 松子(まわたり まつこ、1967年12月17日 - )は日本の歌手[1]宮崎県北諸県郡三股町出身。離婚歴あり。

代表曲に『幽☆遊☆白書』のオープニング主題歌「微笑みの爆弾」、初代エンディング曲「ホームワークが終わらない」、2代目エンディング曲「さよならbyebye」、5代目エンディング曲「デイドリームジェネレーション」など。
人物

3歳よりピアノを始め、中学校ではフルートを担当し、速見浩に師事する。高校では合唱部に所属し、千葉大学教育学部に進学するため上京。学業に専念しながら音楽サークルに所属し、デモテープがMSアーティスツプロダクツ(後のMSエンタテインメント)に評価され、2年間の修行にてDREAMS COME TRUEのバッキングコーラスとキーボードを21歳より兼任する。当時はその関係で、中村正人がパーソナリティを務める『スーパーFMマガジン 中村正人のNORU SORU』(TOKYO FM系)にもレギュラー出演していた。

2年後、ヴァージン・ジャパンと契約し、1992年にメジャーデビュー。セカンドシングルがアニメ『幽遊白書』のオープニングテーマとなり、50万枚以上のセールスとなりブレイク。作曲、編曲、プログラミング、歌唱、レコーディングに関わるすべての工程を担当。

1996年にメディア・レモラス(ヴァージン・ジャパンから名称変更)とのレコード会社との契約が切れ、MSアーティストも退社。自身のレーベル「Pit'a Patレーベル」を設立し、『POPS』のアルバムより、精力的にライブ活動を行う。しかし、1996年の設立後に精神分裂病(統合失調症の当時の呼称)にかかり、声も出なくなり指も動かなくなり、精神病院に入院。その後、強制送還で故郷の宮崎に帰る。

半年ほど昆布巻きの内職をし、その後、某楽器店のボーカル講師を始める。その後、楽器店他、声優俳優学校、アイドル事務所、ダンススクールなどのボーカル講師を務める。

休止していたアーティスト活動を「Anime Japan ?夏の陣?[2]」2011年より始め、東日本大震災を機に「生きる」をテーマに東北の復興支援ライブ活動なども含め全国を廻る。

2013年に独立して、Pit'a Patボーカルスクールを設立。同年『アニメコネクト』という、引きこもりの若者の生きがいを助けるべく「地域、世代、音楽のジャンルを繋げる」をコンセプトにしたアニメソングでのイベントを第6回まで開催。ラストは宮崎県立劇場大ホールにてゲストを迎え、大盛況となる。同イベントのグランプリ獲得者には馬渡松子が楽曲提供を行い、自社レーベルよりリリース(2021年3月に再リリースとなり、大反響を得る)。

2014年には被災地のラジオ局のパーソナリティーの方との共作『いつも私たちがいるよ』という復興義援金プロジェクト楽曲をリリース。

2015年、ブラジル、サンパウロの『Anime Friends 2015』にゲスト出演。同年、宮崎ビジネスプランコンテストにて最優秀賞を獲得。また、『Pit'a Pat総合ミュージックスクール』を設立する。その後、拠点を関東に移し、横浜にてボーカル講師として再出発。同時期、「Smile Bomb」という、代表曲の英語名が登録商標に認定[3]され、また、馬渡自身は統合失調症による障碍者2級の認定も厚生省から受ける。

2019年、2度目の精神病院に入院となり、病院にて、書籍「基礎からのVocalメソッド」「Hospital?ゴールのない空間?」を執筆。翌年2冊出版する。

そこから、絵画やポエムなど、芸術の分野が開花していく。

2021年11月には、初のJazz Flute楽曲もリリース。

また、同年12月には、「Outside from inside」の現代音楽の英詞のピアノ弾き語りで「平和」を訴え、世界に注目を浴びる。

現在(2022年)は横浜で一般財団法人Keep right の代表理事を務め、音楽・芸術の振興に携わっている。[4]また、「メンタル心理ミュージックアドバイザー」「音楽療法カウンセラー」などの資格も持っており、その資格の下のレッスン[5]、社会福祉における講演、その他に『芸術家が語るビジネス講義』という講演会も行っている。[6]

2022年3月、『如月-kisa-』名義で新たな音楽活動を開始。[7]

同年7月、ブラジルでの『Anime Friends 2022[8]』出演を以てシンガー・馬渡松子の最後のステージとなり、総勢10万人以上のイベントの盛大なステージで幕を閉じた。

また、2022年8月には、油絵が「日美展」に於いて入選、入賞を果たし国立新美術館に展示されている。

2022年に、デジタルのインスト楽曲の活動として、「Matsuko Mawatari」名義「cloud think」「Nostalgic」配信を開始。

また、2023年2月には、馬渡松子の如月-kisa-名義で、初のピアノインストゥルメンタル「哀春の郷」をリリース。活躍の場をクラシックにも広げている。
ディスコグラフィー
シングル
君は今心臓破り(1992年5月21日)

微笑みの爆弾(1992年11月6日)

P-U(1993年3月19日)

基-motoi-(1993年11月19日)

Mr.プレッシャー(1994年4月21日)

デイドリームジェネレーション(1994年10月21日)

帰りたい(1995年3月17日)

Passion in Energy(2018年4月10日) - 配信のみ

Urban Nature(2021年3月4日) - 配信のみ

いつも私たちがいるよ(2021年5月21日) - 配信のみ

ラビリンス(feat.Kaho & T-da)(2021年9月12日) - 配信のみ

M・R(馬渡松子Jazz session )(2021年10月31日) - 配信のみ

Outside from Inside(2021年11月23日) - 配信のみ

Heart Adge(2022年3月31日) - 配信のみ(如月-kisa-)

Beating(2022年3月31日) - 配信のみ(如月-kisa-)

Dreaming Star?希望の星?(2022年6月20日)-配信のみ(如月-kisa-)

cloud think(2022年11月23日)-配信のみ(Matsuko Mawatari)

Nostalgic(2022年11月23日)-配信のみ(Matsuko Mawatari)

哀春の郷(2023年2月3日)-配信のみ(如月-kisa-)

アルバム
逢いたし学なりがたし(1992年6月19日)

nice unbalance(1993年4月21日)

AMACHAN(1994年5月20日)

バラブシュカ(1995年4月21日)

POPS(1997年3月20日)

A.MA.KA.KE.RU(2001年5月15日)

森羅万象(2001年10月22日)

POPS+(2005年12月17日)

re:Birth!(2008年6月15日)

KISEKI(2012年5月4日)

THE BEST OF MAWATARI MATSUKO(2013年11月20日)

SMILE☆POWER インストゥルメンタル M:Edition(2013年12月6日)

Break a Theory?縁?(2015年10月2日)(2016年、再販)

ネクタイ on the beat(馬渡松子 with クロブチブラザーズ)(2016年11月2日)

アニコネ「Song Provided by award」集(2021年3月6日) - 配信のみ

Love Legal(如月-kisa-)(2022年7月27日)

その他

E-ZEE BAND「Sunny Day Sunshine Love」background vocalとして参加

みちくさ(「くのいち捕物帖」オープニングテーマ)

誰も行けない場所(「くのいち捕物帖」エンディングテーマ)


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