馬毛島
所在地 日本 鹿児島県西之表市
所在海域東シナ海
所属諸島大隅諸島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度44分29.9秒 東経130度51分16.9秒 / 北緯30.741639度 東経130.854694度 / 30.741639; 130.854694
面積8.20 km²
海岸線長16.5 km
最高標高71.7 m
最高峰岳之越
人口15(2005年国勢調査)
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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東側の海上から望んだ馬毛島馬毛島の東側に建つ建物群
(2010年2月19日)
なお、地名(行政区画)としての「馬毛島」は、鹿児島県西之表市の大字である。郵便番号は891-3118。
地理馬毛島の空中写真。
2009年11月26日撮影の8枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
種子島の西方12kmの東シナ海にある島で、面積は8.20km2[1]、周囲16.5km[2]。最高地点は島中央部の岳之腰の71.7m、地勢は低くて平らである[3]。島には河川がなく地質は農業に適さない。一般的な船便で種子島から出港して約30分の距離という。また、北側は国際海峡で特定海域となっている大隅海峡とも接していて、近年は通過通航する他国海軍による航行も増えていて、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}後述する自衛隊基地設置後、偵察、妨害などの影響を受ける可能性もある[独自研究?][4]。
島内には、ニホンジカの1亜種であるマゲシカが棲息している。島の周辺は好漁場となっている。 葉山(はやま)、王籠(おうこもり)、高坊(たかぼう)、垣瀬(かきせ)、椎ノ木(しいのき) 国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。 旧石器時代の石器が数点、2022年10月の西之表市教育委員会の文化財調査で確認されている[5]。 古くは10世紀にマゲシカを狩猟した記録が残っている。鎌倉時代から種子島氏の領地となっていたが、漁師がトビウオ漁の時期に1-2カ月ほど小屋に泊り込み、漁業基地としていた他は殆ど定住者は居なかったと言われる。 江戸時代の文化年間初頭、種子島で蝗の発生と二度の台風襲来により農作物が壊滅状態となり飢饉に陥る。このため種子島の島民が馬毛島に来島し、救荒食としてソテツの採取を行った。1808年には種子島氏の家老が、資源が減少しないようソテツの植え付けを行い、島内のたき火を禁止した[6]。 明治以降は牧場としての利用が試みられた。太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)に、帝国海軍の防空監視所が設置され、一時期無人島(無定住者島)となった。 戦後の1951年(昭和26年)からは緊急開拓事業による農業開拓団が入植を開始。ピーク時の1959年(昭和34年)には113世帯528人が島に住み、サトウキビ栽培や酪農を営んでいた。廃校後の馬毛島小・中学校(2000年4月)。 しかし、水源に乏しく、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害が増加し生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていった。1980年(昭和55年)3月に最後の島民が島外に移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校[注釈 1]、以降無人島となった。これにより、北海道の渡島大島に次いで日本で2番目に面積が大きい無人島となっていた。 1974年(昭和49年)、平和相互銀行(平和相銀)により馬毛島開発株式会社が設立され、1975年(昭和50年)に島ごと買収した。当初はレジャー施設の建設を計画していたが、挫折した。その後も国の石油備蓄基地の候補地になったことから、島の土地買収が進んだが、最終的には鹿児島県の志布志湾に決定し、馬毛島は放置されることとなった。 1983年(昭和58年)、右翼活動家の豊田一夫 同年には、1985年(昭和60年)に起こった山火事の影響で、集団化したトノサマバッタが大発生(蝗害)したが、翌年には収束した[7]。 1995年(平成7年)、立石建設 2005年(平成17年)の国勢調査では、同社の従業員15人が住民として登録されており、25年ぶりに再び有人島扱いとなっている。離島振興法の有人指定離島、および有人国境離島法の特定有人国境離島地域にも指定されている。 2007年(平成19年)に硫黄島に代わるアメリカ海軍空母艦載機の陸上空母離着陸訓練(FCLP)に利用する可能性が報道された。これに対し種子島・屋久島1市3町は反対決議を可決した[8][9](なお、2018年(平成30年)2月16日までに「反対色が強い活動が原因で」米軍基地等馬毛島移設問題対策協議会は解散している[10])。
主な地名
小島・岩礁
房瀬 - 上ノ岬。
小瀬、片平瀬、大平瀬、垣瀬 - 西側。
北小島、女瀬 - 下ノ岬。
高瀬、ツマ崎 - 南東側。
横瀬 - 東側。
歴史
戦前まで
戦後
入植から無人島化まで
無人島の買収
滑走路建設問題
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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