この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "馬場鉄志"
ばば てつし馬場 鉄志
プロフィール
愛称テツ、テっちゃん、ババテツ
出身地 東京都西多摩郡日の出町
生年月日 (1950-09-27) 1950年9月27日(73歳)
血液型O型
最終学歴早稲田大学社会科学部卒業
職歴関西テレビ放送編成局アナウンス部(2010年9月定年退職、以後は出演者契約)
活動期間1974年 -
ジャンル報道・スポーツ番組
配偶者あり(3人目)
出演番組・活動
出演経歴本文参照
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ
馬場 鉄志(ばば てつし、1950年9月27日 - )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。現在はフリーアナウンサー(関西テレビとの「番組出演契約」)。 東京都西多摩郡日の出町の出身[1]で、東京都内に山林を保有する裕福な家庭に出生。高校生時代から競馬に関心を持っていた影響で、早稲田大学の学生時代に地元局・フジテレビの競馬実況担当アナウンサーを志したが、就職活動の時期に同局がアナウンサーを募集しなかったことで、関西テレビ(フジテレビ系列の準基幹局で当時から競馬中継をレギュラーで編成)のアナウンサー試験を受験。 関西テレビの放送対象地域である関西地方とは学生時代まで無縁であったが、1974年に同局へ入社してからは、退職後の現在に至るまで関西での生活を続けている。 同期入社のアナウンサーには岡本栄(現在は三重県伊賀市の市長)がいたが、馬場より1歳年下である。 当時の関西テレビでは競馬中継のレギュラー実況アナウンサーが杉本清・鈴木敏郎の2人しかおらず(2人が実況できない場合はかつてのレギュラー実況アナウンサーであった松本暢章が実況することがあった)、サブ実況者を増員する必要があったことと、馬場も競馬アナウンサーを志望していたため、主に競馬を担当することとなった。 関西テレビへの入社後は、競馬以外にも大阪国際女子マラソン・野球・サッカー・ゴルフ・FISワールドカップスキーの実況を長年にわたって担当したほか、『カジノザウルス』(同局の制作で1996年7月から1997年3月まで全国ネットで放送された島田紳助司会のバラエティ番組)でも実況を務めた。 フジテレビが日本国内での放送権を保有しているF1グランプリ中継でも、関西テレビ在職中の1988年から、当時地上波で実施していた中継の実況を任されていた。地上波での中継開始当初に実況を担当していた野崎昌一(当時はフジテレビのスポーツアナウンサー)が同年4月から『プロ野球ニュース』(当時は地上波での全国ネット番組)平日版のメインキャスターへ異動したことに伴う起用だったが、1998年まで11年にわたって担当した(詳細後述)。 その一方で、関西テレビが当時は60歳を定年として規定していた(2010年代後半に65歳定年へと引き上げられた)ことから、50代の後半には担当番組を徐々に整理。主に担当していた競馬実況では、2009年11月15日の第34回エリザベス女王杯中継で京都競馬場開催分のGIレースから退くと、2010年4月11日の桜花賞中継で担当を完全に終えた[注 1]。2010年9月30日付で、関西テレビを定年退職。退職の直前に公開されていたプロフィールでは「(定年後は)放送業界を離れて人間らしさを取り戻したい」とも語っていたが、実際には関西テレビとの間で番組出演者契約を結んだうえで、サッカー中継を中心に実況を続けている[注 2]。 2013年からは、フジテレビワンツーネクストで放送されるスポーツ中継など、出身地の東京で主に活動。同年と翌2014年には、BSフジでの放送へ移行したF1グランプリ中継で、実況を再び担当していた。その一方で、「競馬実況のレジェンドアナウンサー」として、競馬場内のイベントやトークショーに出演することもある。 関西テレビ入社当初からの先輩アナウンサーであった桑原征平によれば、「馬場は裕福な家庭で育ったせいか、『自分は競馬中継での実況しか担当したくない』と言い放つなど、入社の直後から『新人』とは思えない振る舞いを続けていた」とのことで、終業後にポケットマネーで酒を奢られることも多かったという。その一方で、同局への在職中から高血圧の症状が現れていて、太りやすい体質であることを自他共に認めている。現に、定年退職の数年前から体重の増加が著しく、声質にも変化が生じている。もっとも、体重の急増については、桑原から「高血圧の(治療)薬(の副作用)と酒の飲み過ぎが原因」と指摘されている[2]。 F1(番組名『F1グランプリ』)の実況は1988年から1998年まで担当した(関西テレビ枠。現在は存在しない)。実況開始当初はハンガリーGP、メキシコGP、カナダGPなど、日本からは遠隔地であったり時差が大きかったりする国を多く担当させられていたが、その後はモナコGPなど、日本GP以外の主要なレースも担当するようになった。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}当初の実況はオーソドックスなスタイルだったが、後に比喩法や独自表現を使用するようにもなった[要出典]。 馬場はフジテレビが実況中継を開始する1987年以前よりF1ファンであり、好きなマシンはロータス・78であったと語るなど1970年代や1980年代前半期のF1にも詳しい[3]。 1990年にはアイルトン・セナが日本GP直前に開催されたスペインGPでシリーズチャンピオンを決めそうになったため、日本GPまでチャンピオン争いをもつれ込ませたいフジテレビのスタッフが、スペインGPの会場であるヘレス・サーキットに馬場の顔写真を国際ファックスしてもらい、実況ブースに貼って放送した(このレースの実際の実況担当者は三宅正治)。
来歴・人物
エピソード
F1グランプリ実況