香里団地
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香里団地完成当初の集合住宅が並ぶ景色戸建住宅の分譲地として開発された地域

香里団地(こうりだんち)は、都市再生機構が運営する大阪府枚方市香里ヶ丘にある住宅団地である。日本住宅公団が開発した郊外型大規模住宅団地の先駆けであり、1958年に入居が開始された。完成当初の建築物の老朽化および生活様式の変化に対応するため、1998年から建て替えが実施されている。
概要

土地区画整理法に基づく土地区画整理事業として、日本住宅公団が旧東京第二陸軍造兵廠香里製造所跡に開発した。

施行面積: 1,552,153m2(集合住宅48ha、戸建住宅50ha、公共用地39ha、公益用地18ha)

計画人口: 22,000人

計画戸数: 5,850戸

賃貸の集合住宅と分譲の戸建住宅が建てられた。完成当時は香里ニュータウンとも称され、常盤平団地千葉県松戸市1959年上野台団地霞ヶ丘団地(以上埼玉県ふじみ野市1959年)、松原団地(埼玉県草加市1963年)、男山団地京都府八幡市1972年)、高島平団地東京都板橋区1972年)などと共に「東洋一のマンモス団地」と呼ばれた。

完成当時は香里団地の規模の大きさが世界各国で話題となり、日本国内の有識者や日本国外からの視察者もバスで来訪していたこともあった。
建築と設計
基本設計

日本住宅公団が手掛ける関西で初めての大規模住宅開発に際して、住宅計画の研究で有名であった京都大学工学部の西山夘三研究室に基本計画が委託された。西山研究室が提案した基本計画は、野外劇場や市民劇場などを設ける斬新なものであったが、その一部は実際の設計に生かされているという[1][2]

当初の集合住宅は1DK(単身者向け)、2K、2DK(新婚夫婦向け)、3DK、4K(家族向け)の間取りが有り、3階建て、5階建ての中層棟が多かった。2DKが主で広くはなかったが、水洗トイレ、ガス風呂、ダイニングキッチンなどが生機能的に配置されていた[3]

フラット型と呼ばれる一般的な直方体をした棟については階段室型と片廊下型が用意され、片廊下型では1階部分にピロティが設けられた棟も有った。ポイントハウス型と呼ばれる塔状の棟は、3方向に住居を設ける星型棟が用意された。2階建てで庭が用意されたテラスハウスや、商店街には店舗付き住宅が用意され、後にツインコリダー型10階建ての高層棟も建てられた。

多くの棟は広い敷地に余裕を持って配置された[4]。一つの区画に向かい合うように建てられ、棟と棟に挟まれた場所に設けられた広場や児童公園が、住民の地域社会を育てるように考えられた。公園が計画的に設置され、核となる香里ヶ丘中央公園、自然の雑木林が残された香里ヶ丘南公園、重森三玲設計の日本庭園である以楽苑など、大小様々な公園が設けられている。

市役所の支所、公設市場、診療所、郵便局、駐在所が開設された[4]。中央部に位置する新香里交差点付近には、核店舗としてスーパーマーケット大丸ピーコックの第一号店である香里店を擁する商店街、母子像と泉を中心に据えたロータリー状のバスターミナルが設けられた。

ピロティが設けられたD51棟

星型棟であるD40棟(手前)とD39棟

高層棟であるD50棟

大丸ピーコック香里店

植栽

幹線道路には街路樹が植えられた。新香里中央線には270本のケヤキ、中振交野線には160本の公孫樹、枚方新香里線には150本のソメイヨシノ、またトウカエデ、夾竹桃、枝垂柳といった木々が、完成後40年を経て大きく成長している。その景観が認められ、枚方八景「香里団地の並木」、枚方市愛称道路「けやき通り」「いちょう通り」に名を連ねている。

愛称道路「けやき通り」

愛称道路「いちょう通り」

枚方新香里線の桜並木

開成小学校東側のトウカエデ並木

水道

また枚方市における公共下水道発祥の地である[5]。1993年には香里中央雨水幹線を暗渠化し、その上に噴水や水路、遊歩道を設けた香里こもれび水路が整備された。香里こもれび水路は「出合いのプロムナード香里こもれび水路」で、平成5年度手づくり郷土賞(出会いを演出する街角)を受賞している。
老朽化と建て替え

その一方で、設計の古さに起因する問題も生じている。

中層棟には当初ダストシュートが設置されていたが、落下地点でゴミが散乱するという衛生上の問題により廃止された。1棟だけ有る高層棟以外はエレベータは設置されていなかったため、中層棟の上階の住民は階段の上り下りを強いられる事になった。

住民の足は主として公共交通によるものと考えられていたため、戸数に対して駐車場が少なかった。そのため完成後の自家用車の普及により駐車場が慢性的に不足した。1980年代には駐車場の空きを待つ待機者が常に十数名以上という事も珍しくなく、待機状態は駐車場を借りていた入居者が転出するまで何年にも渡った。これは商店街においても同様であり、来客用駐車場は殆ど用意されていなかった。そのため、団地内の道路は日常的に住民と来客の路上駐車が並ぶ事になっていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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