香道
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香道(こうどう)とは、主に東南アジアで産出される沈水香木など各種香木香りを鑑賞する[1]日本芸道である。香道はの精神を大事にし、礼儀作法・立居振舞など約束事の多い世界であり、上達するにつれ古典文学や書道の素養も求められる。しかし、香道の原点は何よりも、香りそのものを楽しむことにある。伝統的な香道の作法にとらわれず香を楽しむ人や、そうした用途に販売されている香製品も多い[1]

香道においては香を「聞く」と表現し[1]、「嗅ぐ」という表現は不粋とされる。香木の香りを聞き、鑑賞する聞香(もんこう)と、香りを聞き分ける遊びである組香(くみこう)の二つが主な要素である[1]。香木は生き物、その一つ一つに魂が宿ると考え、この稀少な天然香木を敬い大切に扱う。「聞く」という言葉を使う意味は、現代においては、香木の香りを通じて自然や地球の声を聞き、自然と一体化し、同時に自身と向き合うことと説明される[1]
歴史

日本書紀』によると、香木推古天皇3年(595年)に淡路島に漂着したといわれる[2]。日本の香文化の源流は古代インドから中国を経て、仏教とともに入り、香木が焚かれるようになることに始まる。平安時代になると、宗教儀礼を離れて、香りを聞いて鑑賞するようになり、薫物合せ(たきものあわせ)などの宮廷遊戯が行われた[注 1]

この宗教の香・貴族の香に鎌倉時代以降の武士の香、そして禅の教えが加わり、茶道華道などとともに室町時代に誕生、婆沙羅大名はじめ一部上流階級の贅を極めた芸道として発展する。なかでも香道は、それら中世芸道のエッセンスを凝縮した文化として洗練度を高め、当時としては非常に稀少な東南アジア産の天然香木を研ぎ澄まされた感性で判別するという、独自の世界を構築するに至る。このころ、それぞれに異なる香りを有する香木の分類法である「六国五味」(りっこくごみ、後述)なども体系化された。

慶長11年(1606年)ごろから徳川家康による朱印船貿易が行われるようになるが、主目的は極上とされた伽羅の買い付けに絞っており、香道の用材として必要としていたからである[3]
?き方

香道においては、線香等のように直接点火するは用いない。聞香炉にと、おこした炭団を入れ、灰を形作り、その上に銀葉という雲母の板をのせ、数ミリメートル角に薄く切った香木を熱し、香りを発散させる方式がとられる。銀葉を灰の上で押すことにより、銀葉と炭団の位置を調節する。これにより伝わる熱を調節し、香りの発散の度合いを決める。香道具の種類、形状および作法は流派によって異なる。
香道の流派
御家流(おいえりゅう)
三条西実隆を流祖とし[1]室町時代以来大臣家である三条西家によって継承されたが、のちに亜流は地下(武士・町人)にも流れる。第二次世界大戦後、一般市民(民間)の香道家・一色梨郷や山本霞月などにより、堂上御家流香道を継承していた三条西尭山が正式に近代御家流宗家として推戴され、三条西家の当主が御家流家元を継承している。なお、御家流の香人は自身の流派を「当流」と称する。現宗家は三条西尭水。なお、一般には御家流とは各芸道ごとに、特定の流派を指す言葉である。
志野流(しのりゅう)
東山文化のリーダーであった室町幕府第八代将軍足利義政の近臣だった志野宗信[1](1443-1523年)を流祖とし、3代省巴( -1571年)が隠棲する際、流儀の一切を高弟であった4代宗悟(-1584年)に譲り、初代宗信からの志野流の精神を一度も途切れることなく現家元の幽光斎宗玄まで継承してきている。葵祭前儀である上賀茂神社での献香祭も担う[1]。途中、幕末の戦乱に巻き込まれ、特に禁門の変では家屋を消失してしまい家元存続の危機があったが、尾張徳川家を中心に、尾張地方の名士たちがパトロンとなり流儀は守られる。現在、志野流家元は、愛知県尾張(名古屋城近く)に居を構えている。なお、志野流における「入門」は、その伝統・道程を守るため一子相伝の制度をとっており、家元とともに志野流香道の精神と伝統を生涯にわたり守り続けることを誓約した者(古くは血判の誓約書を家元に提出)のみが許される。したがって、志野流香道で学んだ伝統、秘伝、および作法等に関する知識、技能は他言してはならず、志野流香道で学んだ知識などをもとに、自ら流派、組織を立ち上げることは当然許されていない。正規の国内教場は約200か所、海外教場は10か所と近年さらに拡大している。入門者は約2,000人[1]
米川流(よねかわりゅう)
東福門院に指南したことで知られる米川常伯を祖と仰ぐ、志野流が正式に認めた分流。大名家に広く支持されたが明治維新後の廃藩により絶えている。
泉山御流(せんざんごりゅう)
江戸時代から続く京都の流派。流派の本山である泉涌寺(京都・東山)の歴代長老を御家元と仰ぐ。現在、第10代宗匠 西際好譽(好誉)、若宗匠 西際重譽(重誉)。泉涌寺には、天下第一の銘香蘭奢待を始め、歴代の天皇が所持していた数々の香木や香道具などが蔵されており、泉山御流により香道の伝統が今に伝えられている。教場は関東・関西・中部・四国・中国地方のほか、日本以外には中国・台湾・カナダなど。京都東山に位置する泉涌寺は、俊?(しゅんじょう)律師によって嘉禄2年(1226年)に創建された真言宗泉涌寺派の総本山寺院。一般の寺院とは異なり、寺域内に鎌倉時代の四条天皇以降、歴代の天皇・皇族が奉葬されている。このため皇室の御陵に香や花を供える役割を担う「香華院」とされ、「御寺(みてら)」「皇室の菩提所」と呼ばれており、現在も皇室との関係は非常に深い。
後代の新流派(団体) 

上記より時代が新しい流派(団体)。また、活動は確認できるが系譜未確認の流派。「家元制度」は、いわゆる素人弟子たちが家元から入門を許されたあと、その流儀に伝わる秘伝書や技能を学び習得していくのであるが、西山松之助著『家元ものがたり』に、「それは決して公開してはならない。そういう血判の誓約書を本来は弟子から家元に提出することになっている」とあるように、家元制度の観点からして独立、分派というものは存在し得ない。


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