香椎宮
中門から拝殿・幣殿を望む
所在地福岡県福岡市東区香椎4-16-1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度39分12.50秒 東経130度27分09.72秒 / 北緯33.6534722度 東経130.4527000度 / 33.6534722; 130.4527000 (香椎宮)
香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎にある神社。勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
「香椎神宮」と誤記される場合もあるが、正しくは「香椎宮」である。 福岡市北部、立花山南西麓に鎮座する。古代には神社ではなく霊廟に位置づけられ、仲哀天皇・神功皇后の神霊を祀り「香椎廟(かしいびょう)」や「樫日廟」などと称された。「廟」の名を持つ施設として最古の例であったが[1]、平安時代中頃からは神社化し、類例のない特殊な変遷を辿った。上記のように天皇・皇后の神霊を祀るという性格から、戦前の近代社格制度においては最高位の官幣大社に位置づけられ、現在も勅祭社として10年に一度天皇からの勅使の参向を受ける神社である。 境内の社殿のうち、特に本殿は江戸時代後期の再建時のもので、「香椎造(かしいづくり)」と称される独特の構造であり国の重要文化財に指定されている。祭事としては、10年に一度勅祭が斎行されるほか、現在も仲哀天皇・神功皇后の命日に神事が行われている。 史料上で見える呼称は次の通り[2][3]。いずれも読みは「かしい」(歴史的仮名遣では「かしひ」)。 香椎宮の創建以前にあったとされる仲哀天皇の行宮(仮宮)は、『日本書紀』において「橿日宮」、『古事記』において「訶志比宮」[4]、『新撰姓氏録』[原 8]では「橿氷宮」と表記されている。 「香椎」とは『和名抄』にも糟屋郡香椎郷として見える古い地名であるが、『筑前国続風土記』ではその由来について、椎の木に仲哀天皇の棺を掛けたときに異香が漂ったことに由来するとしている[5]。そのほか、「かしい」は首都や大村の意味とする説がある[5](「香椎#歴史」も参照)。 祭神は次の4柱[2]。
概要
社名
香椎廟 - 『万葉集』[原 1]、六国史(複数)
香椎宮 - 六国史(複数)
香椎廟宮 - 『日本三代実録』[原 2]
拍P宮 - 『筑前国風土記』[原 3]
樫日廟 - 六国史(複数)
香襲宮 - 『続日本後紀』[原 4]
香襲廟宮 - 『日本三代実録』[原 5]
橿日廟 - 『延喜式』[原 6]
橿日廟宮 - 『延喜式』[原 7]
借飯廟宮 - 『諸神根源抄』
祭神
主祭神
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) - 第14代天皇。
神功皇后(じんぐうこうごう) - 仲哀天皇皇后。
配祀神
応神天皇(おうじんてんのう) - 第15代天皇。仲哀天皇皇子。
住吉大神(すみよしのおおかみ)
祭神について仲哀天皇(第14代天皇)香椎の地に行宮「橿日宮」を営み、同地で没する。
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