香川医科大学
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香川大学
幸町キャンパス南端から瀬戸内海と女木島を望む
大学設置/創立1949年
学校種別国立
設置者国立大学法人香川大学
本部所在地香川県高松市幸町1番1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度20分33秒 東経134度2分15秒 / 北緯34.34250度 東経134.03750度 / 34.34250; 134.03750座標: 北緯34度20分33秒 東経134度2分15秒 / 北緯34.34250度 東経134.03750度 / 34.34250; 134.03750
キャンパス幸町キャンパス(高松市幸町)
林町キャンパス(高松市林町)
三木町農学部キャンパス(木田郡三木町
三木町医学部キャンパス(木田郡三木町)
学部教育学部
法学部
経済学部
医学部
創造工学部
農学部
研究科教育学研究科
法学研究科
経済学研究科
医学系研究科
工学研究科
農学研究科
地域マネジメント研究科
香川・愛媛大学連合法務研究科
連合農学研究科
ウェブサイトhttps://www.kagawa-u.ac.jp/
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香川大学(かがわだいがく、英語: Kagawa University)は、香川県高松市幸町1番1号に本部を置く日本国立大学1949年創立、1949年大学設置。大学の略称は香大(かだい)。.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} 香川大学
概観
大学全体

香川大学には地域国立大学としては珍しく、法学部経済学部が設置されている。経済学部は第二次世界大戦前に四国唯一の官立高商として大平正芳(第68-69代内閣総理大臣)を筆頭に数多くの政財界人を輩出した旧制高松高商が母体となった。学部学科構成の特徴として文学部理学部などを持たず、応用科学の教育研究が中心となっており、すべての学部が特定の職業分野や労働市場と対応している。また全学の理念を「専門職業人・研究者を養成する」としている。一方で基礎科学分野は弱く、高等学校に占める香川大学卒業生は極めて少ない。[1]

学芸学部と経済学部の2学部からスタートし理科系の学部は長年農学部のみと「文系の大学」のイメージが強かったが工学部(1997年)、医学部(2003年)を増設し6学部9研究科を擁する総合大学へと生まれ変わった。香川県唯一の国立大学である。近年は一般選抜(前期及び後期日程)外の定員を増やしており、募集人員の1/3超が学校推薦型入試(T及びU)、総合型選抜による。

学部生:5,636名、大学院生:733名(連合農学研究科を除く)、計6,369名(2019年5月1日時点)[2][3]
教育理念・目標等
理念

世界水準の教育研究活動により、創造的で人間性豊かな専門職業人・研究者を養成し、地域社会をリードするとともに共生社会の実現に貢献する。

目標
教育の目標


豊かな人間性と高い倫理性の上に、幅広い基礎力と高度な専門知識に支えられた課題探求能力をそなえ、国際的に活動できる人材を育成する。

研究の目標


多様な価値観の融合から発想される創造的・革新的基礎研究の上に、特色ある研究を開花させ、社会の諸課題の解決に向けた応用的研究を展開する。

地域貢献の目標


「知」の源泉として、地域のニーズに応えるとともに、蓄積された研究成果をもとに文化、産業、医療、生涯学習等の振興に寄与する。

教育および研究

香川師範学校・香川青年師範学校を母体とする学芸学部(後の教育学部)と高松経済専門学校を母体とする経済学部の2学部で1949年に新制大学として創立。1955年に香川県立農科大学を移管し農学部を設置したのち長く3学部体制であったが法学部(1981年)、工学部(1997年)、医学部(2003年)を新設、移管し文理6学部体制となった。旧制高等学校を母体とせず人文系、基礎科学系(理学系)の学問領域は設置をしていないが経済学部は四国地方の国立大学では唯一で、全国では12番目の官立高等商業学校として設置された旧高松高商からの長い歴史と権威を持つ。

四国4県を統括する国の主要な出先機関と上場企業の支店が集中する高松市[4]の地の利を背景に、大学院地域マネジメント研究科(ビジネススクール、MBA課程)には四国内の官公庁や企業の現役職員の受講生が多く、初代研究科長が日本放送協会 (NHK) の経営委員・常勤監査委員を兼ねていた(現在は四国電力重役)ほか、歴代客員教授・講師陣には大蔵官僚時代に四国財務局長だった中山恭子内閣総理大臣補佐官(拉致問題担当)をはじめ現職の県知事地方銀行頭取、企業の重役、官公庁の幹部行政官、日銀支店長などが名を連ねている。

1981年昭和56年)4月に香川大学4番目の学部として経済学部経済法学コースを母体として設置された法学部は全国に15ある国立大学法人の法学部のなかで最も若い。また四国の国立大学では香川大学のみが法学部を設置している。

香川県知事を会長とする「理工系学部設置促進期成会」(1994年設立)、「香川県科学技術振興財団」(1996年設立)等地域からの強力な支援を受け1997年平成9年)に新設された工学部[1]は国立大学としては最後発であるが、教授陣には企業出身の研究者が多く、産学官連携色を鮮明に打ち出している。

教育学部附属学校として高松市内、坂出市内にそれぞれ中学校、小学校、幼稚園が、坂出市府中町に特別支援学校が設置されている。

2022年度(令和4年度)法学研究科経済学研究科教育学研究科(一部除く)、工学研究科を統合して創発科学研究科が開設された[5]
希少糖の研究拠点

農学部何森健名誉教授によって学内の敷地から発見された酵素により、希少糖の大量生産法イズモリングが確立されたことにより、四国経済産業局や香川県、地元企業と産学官連携による希少糖の研究拠点となっている。学内には日本唯数の希少糖研究センターや国際希少糖学会の本部事務局が置かれているほか、学外には産官学連携の希少糖生産技術研究所も稼働している。
学風および特色

戦前、隣接する岡山徳島両県には社会科学系の高等教育機関がなかったため、伝統的に県外出身者の比率が高い。瀬戸大橋の開通後は対岸の岡山県出身者が増え、地元香川県出身者と拮抗している。新制大学の発足から半世紀以上経った現在では理系の学部が半数を占めるようになり、研究成果の地元への還元も進んでいる。なお、近年は工学部を除いて入学者の約4割が女子学生となっている。経済学部、教育学部、農学部を除き他地方大学と比較し設立から年数の浅い学部が多く産学官連携など応用学問領域への注力が大きい。
沿革
年表
教育学部の前身

1874年 - 名東県(1873年に旧阿波国讃岐国を合併してできた県)徳島期成師範学校から旧讃岐国出身の在学生22名を全員移籍させて、修業年限4ヶ月の成章師範学校を高松に設立。

1876年 - 香川県師範学校と改称(名東県から香川県が分離したため)、修業年限を1年に拡大。

1876年 - 愛媛県讃岐師範学校と改称(香川県が愛媛県に合併されたため)。

1877年 - 愛媛県、高松の讃岐師範を廃止して松山の愛媛県師範学校に統合、修業年限を官立師範なみの2年に拡大。


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