.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}香山 滋(かやま しげる)
本名山田ナ治
生年月日 (1904-07-01) 1904年7月1日
没年月日 (1975-02-07) 1975年2月7日(70歳没)
出生地東京都新宿区神楽坂
死没地東京都港区神谷町
国籍 日本
職業小説家
ジャンル映画、テレビドラマ
活動期間1946年 -
配偶者山田さだ(妻)
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香山 滋(かやま しげる[1]、(1904年〈明治37年〉7月1日[2] - 1975年〈昭和50年〉2月7日[3][2][注釈 1])は日本の小説家で、探険小説や幻想小説で活躍したほか[3]、映画『ゴジラ』の原作者としても知られる[1]。本名は山田 ナ治(やまだ こうじ)[3]。東京都出身。 東京神楽坂に生まれる[3]。東京府立第四中学時代に横山又次郎『前世界史』を読んだことをきっかけに、恐竜をはじめとした古生物に魅せられ、独学で地質学や古生物学を学ぶ。法政大学経済学部を中退し、大蔵省に入省して預金部に勤める[3]。1933年に結婚し、一女をもうける。 1940年、北原白秋門下の歌人・筏井嘉一が創刊した短歌誌「蒼生」に参加し、歌人として文芸活動を開始。短歌の代表作は「月二つ空にかかれり今宵われ酔い痴れしとは思われなくに」。痩身であり、ガンジー、本因坊秀哉と並んで世界三ヤセと言われたこともある[4]。 1946年、雑誌『宝石』の第1回懸賞に応募した「オラン・ペンデクの復讐」が入選[3][2]。以後同誌などで旺盛に創作活動を開始し、第2作『海鰻荘奇談』で日本探偵作家クラブ賞新人賞受賞[3]。1949年5月に大蔵省を退官し、1年半ほど岩谷書店嘱託となる。ペンネームは、本名の山、ナ、治の字の音をとって、大蔵省を退官したのが「青葉香る五月」だったことから付けた[4]。 山田風太郎、高木彬光、島田一男、香山、大坪砂男の5人で「探偵小説界の戦後派五人男」と呼ばれた。また、1950年、山田風太郎、高木彬光、島田一男らと若手探偵作家の会「鬼クラブ」を結成して、同人誌『鬼』を刊行した[5]。 多くの空想小説、秘境探険小説で珍獣、怪獣を登場させていた[1]。1954年には、香山のファンであった東宝プロデューサーの田中友幸に、『G作品』(ゴジラ)のストーリー作りを任され、原案を提供[6][2][1]。映画化後に小説版『怪獣ゴジラ』を岩谷書店から刊行する[注釈 2]。 1963年以降、作品の発表は散発的となった。 1975年2月7日午後1時30分に心不全のため、山口病院で死去(享年70)[8]。同年『幻影城』5月号の追悼特集で島田一男は「偉大な大人の童話作家」と評した[要ページ番号]。 冒険家人見十吉(ひとみじゅうきち)を主人公にした秘境探険小説は、1946年『エル・ドラドオ』から1961年『十万弗の魚料理』まで19中短編と、1948-49年『恐怖島』、1951-52年『悪霊島』の2長編がある。 他に怪奇小説、幻想小説、少年向け冒険小説、SF小説などがある。
経歴
作品