首領を殺った男
監督中島貞夫
脚本高田宏治
出演者松方弘樹
田村英里子
山口達也
多岐川裕美
池上季実子
音楽大島ミチル
主題歌田村英里子「悲しみでは終わらない」
撮影北坂清
『首領を殺った男』(ドンをとったおとこ)は、1994年5月14日公開の日本映画である。製作・東映京都撮影所、東映ビデオ、配給・東映。 1993年暮れの東映社内会議で岡田茂会長が「あまりに客が入らないからヤクザ映画をやめよう」と、ヤクザ映画の撤退が指示され[1][2][3][4][5]、「当たらないもの、赤字を生むものは作らぬよう」と至極当然の指示が出た[5]。ヤクザ映画は一定のファンを持ち、ビデオの売上げも良いため、やめるやめるといいながら年1?2本の製作が続けられていたが、1993年に公開された『継承盃』『極東黒社会』『修羅場の人間学』といった作品で客が入ることなく[3]惨憺たる結果に終わり、特に『修羅場の人間学』は記録的な不入りを記録した[1]。事態を憂慮した岡田の発言に一部のマスメディアが「東映がヤクザ路線撤退」と報道し、騒ぎに火が点いた。高岩淡東映社長も「これは岡田会長の励ましの言葉。公式発言ではない」と否定したが「努力してダメなら決断しなければならない」と話し事態の深刻さを物語った[4]。 これらの発言を受け、1994年1月26日にクランクインしたのが本作で、京都撮影所では「これが最後かも知れない」と危機感を強め、本社サイドも「これがコケたらヤクザ映画をやめる」と言明したため、「日本映画最大の路線が30年でピリオドを打つか!?」などとマスメディアが書き立て[5]、日本のマスメディアだけではなく、『ワシントンポスト』までが報道するほど騒ぎが拡大した[4]。関根忠郎東映宣伝部チーフ・プロデューサー率いる宣伝チームは[5]、この騒ぎを逆手にとって《仁義が生きて帰ってきた。ヤクザ30年、男の決算》などと「最後のヤクザ映画」を押し出すキャッチコピーで売り込む抜け目なさで[1][5]、出演者も「この作品を最後のヤクザ映画にしてはならじ!」並々ならぬ意気込みで取り組んだ[4][5]。 松方が『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に出演中で撮影クルーが松方の姿を追った[3]。松方は大人気で、ロケで松方を見ると見物人が皆笑い、中島貞夫は「ヤクザ映画をやるには辛い」と話した[6]。「最後のヤクザ映画」と吹聴したため、菅原文太や梅宮辰夫、山城新伍が頼んでないのに「出る」と出演した[6]。 5億円[3]。 配収4億円以下なら、ヤクザ映画から撤退と会社の方針を明らかにしたが[7]、配収2億円にとどまり惨敗した[7][8]。松方も頑張って前売り券を売ったがダメだった[9]。
製作
撮影
ロケ地
雲仙温泉
雲仙ロープウェイ、旅亭・半水盧[3]。
製作費
興行
キャスト
宝来蘇鉄:松方弘樹
ジェーン:田村英里子
鳥羽和久:山口達也
鳥羽雅世:多岐川裕美
朱美:池上季実子
隈木安平:川谷拓三
大木戸加那:久我陽子
医師:桂ざこば
遠山正行:白竜
寺田:野口貴史
結城伸也:成瀬正孝
佐治甚吉:大前均
杉本忠志:田口トモロヲ
末長憲一:志賀勝
柳原謙造:綿引勝彦
各務達也:中尾彬
ガラスの兎のオーナー:山城新伍
浜田・刑務所内 鉄砲玉・村本:梅宮辰夫
千承会組長・駒崎:菅原文太
大木戸克彦:夏八木勲
スタッフ
企画:日下部五朗
プロデューサー:妹尾啓太
原案:桂木薫
脚本:高田宏治
音楽:近藤等則
音楽プロデューサー - 高桑忠男
主題歌:『悲しみでは終わらない』
作詞:松井五郎
作曲:玉置浩二
編曲:武部聡志
歌:田村英里子
挿入歌:『まぼろしの愛でも』
作詞:岩里祐穂
作曲:樫原伸彦
編曲:門倉有希
歌:田村英里子
撮影:北坂清
美術:井川徳道
照明:伊藤昭
録音:堀池美夫
編集:玉木濬夫
助監督:藤原敏之
記録:黒川京子
擬斗:上野隆三
スチール:遠藤功成
製作協力:東映京都撮影所
監督:中島貞夫
配給:東映
脚注^ a b c 北川れい子「やくざ映画を見て育ってきた私だけれどもうこの路線の復活はないだろう 封切時期が重なったやくざ映画を語る」『映画撮影』1994年6月号 No.212、日本映画撮影監督協会、22-25頁。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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