首露王
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首露王
金官伽?
初代国王
金海市の首露王陵
王朝金官伽?
在位期間42年 - 199年,162年 - 199年
姓・諱
字首露
廟号太祖
生年42年3月3日,121年?
没年199年3月20日,199年3月23日
父天神夷?訶之
母正見母主
后妃許王后(許黄玉
陵墓首露王陵
慶尚南道金海市に所在)

首露王
各種表記
ハングル:???
漢字:首露王
発音:スロワン
日本語読み:しゅろおう
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首露王(しゅろおう、???)は、金官加羅国の始祖と伝えられている古代朝鮮半島の王で、金海金氏の始祖。首露王は158年間国を治めたとも伝えられている。妃はサータヴァーハナ朝の王女と伝わる許黄玉。ただし、首露王についての記述は金官加羅国滅亡の500年ほど後に書かれた駕洛国記が本となっているため史実か判断が難しい。伝説ではクジボン(クジの岳)に降臨したと言う。金官加羅国には須恵器に影響を与えた土器が発掘されている。目次

1 出生神話

2 治世

3 王陵

4 その他

5 脚注

6 参考文献

出生神話

三国遺事』に抄録された『駕洛国記』(『駕洛国記』自体は逸書)によれば、亀旨峰(クジの岳)の6個の金の卵から、42年3月3日に首露王が生まれた[1]とされる。また、このとき1人ではなく5人の王子とともに6つ子として卵から孵って、九干たちに育てられたとされているこの年代に、首露王を中心とした国家連合(六加耶連合、後の新羅の複伽耶会)が成立したと見なしている。金官国伽?は『魏志倭人伝』には狗邪韓国(くやかんこく)と伝えられる国である。

首露王は金の卵から生まれたという伝説により金姓[2]を名乗る。朝鮮の始祖もしくは神話上の王とされている人々は、高句麗東明聖王、新羅の赫居世居西干脱解尼師今など、卵から生まれたとする卵生説話を持つものが多い。これは、卵が神聖なものであったというものからきている。

新増東国輿地勝覧』には加耶山の女神である正見母主と天神『夷?訶之』(イビガジ)から(悩窒朱日・内珍朱智)が生まれ、その内珍朱智が首露王だと記録されている。首露王の兄が大加耶を建国したというの内容を通じて、大伽耶が六加耶連合の盟主だった時に作られた神話と見る説もある。

三国史記』の金?信列伝によると、新羅の武将・金?信は金官加羅国の王家の子孫であり、首露王は黄帝の子・少昊(金天氏)の子孫であるという。
治世

『三国史記』の新羅本紀によると、102年婆娑尼師今は年長で知識が豊かな金官国の首露王を召し出し、音汁伐国と悉直谷国の境界争いの評定をさせた。

『三国遺事』に引かれる『駕洛国記』によると、光武帝建武18年(42年)から献帝建安4年(199年)まで158年間在位したという。
王陵

慶尚南道金海市に所在している。
その他

金海天文台
プラネタリウムは出生神話に基づいて卵型になっている。

テレビドラマ「鉄の王 キム・スロ」は首露王の少年期から即位するまでを描いた作品である。

脚注^ 同年3月15日に即位し、金官伽?を建国したとされる。
^ 新羅の金氏王統慶州金氏の始祖金閼智と同じ姓であるが、こちらは金の箱から生まれ出でたとの誕生説話をもつ。

参考文献

三国遺事坪井九馬三・日下寛校訂〈文科大学史誌叢書〉東京、1904(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー

三国史記』第1巻 金富軾井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫372〉、1980 ISBN 4-582-80372-5










金官伽?(初代:42年 - 199年※)

首露王42-199 / 居登王199-259 / 麻品王259-291 / 居叱弥王291-346 / 伊尸品王346-407 / 坐知王407-421 / 吹希王421-451 / '"`UNIQ--templatestyles-00000005-QINU`"'銍知王451-492 / 鉗知王492-521 / 仇衡王521-532


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