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logo首里城
(沖縄県)
1992年に再建された正殿正面。2016年撮影。2019年に火災で焼失した。
別名御城(ウグシク)、首里の御城(スイヌウグシク)、中山(チューザン)
城郭構造山城
天守構造なし
築城年14世紀末(推定)
主な改修者尚巴志
主な城主第一尚氏、第二尚氏
廃城年1879年(明治12年)(首里城明け渡しの年)
遺構石門、石垣
指定文化財国の史跡
世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)
再建造物正殿・門・御嶽・城壁
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度13分1.31秒 東経127度43分10.11秒 / 北緯26.2170306度 東経127.7194750度 / 26.2170306; 127.7194750 (首里城)座標: 北緯26度13分1.31秒 東経127度43分10.11秒 / 北緯26.2170306度 東経127.7194750度 / 26.2170306; 127.7194750 (首里城)
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首里城(しゅりじょう、沖縄語: スイグシク[1])は、琉球王国中山首里(現在の沖縄県那覇市)にあり、かつて海外貿易の拠点だった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園になっている。
第二次世界大戦中に焼失後、1992年に柱・壁・瓦など朱色を基調として再建された[2][3][4][5]。しかし、2019年10月31日に正殿など主要7棟が火災で焼失し[6]、その後復興作業が進められている[7]。
概要首里城の空中写真(2010年)国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。城壁城内より市街を望む
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は沖縄神社社殿としての正殿などが旧国宝に指定されていたが[8]、1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設によりほぼ完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている状態だった。
1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが朱色を基調とした形で完成した[2][3][4]。
1993年(平成5年)に放送されたNHK大河ドラマ「琉球の風」の舞台になった。1999年(平成11年)には都市景観100選を受賞。その後2000年(平成12年)12月、首里城跡(しゅりじょうあと)として「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の名称で世界遺産に登録されたが、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない。
2019年10月31日未明の火災により、正殿を始めとする多くの復元建築と収蔵・展示されていた工芸品が焼失または焼損した。
周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵(たまうどぅん)、園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺(えんかくじ)跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。 現在の首里城は正殿など主要建物が那覇市首里当蔵町(旧:首里南風之平等當之藏)に、首里城公園や玉陵など一部が首里金城町(旧:首里真和志之平等金城)に所在する。守礼門と龍潭池は首里真和志町(旧:首里真和志之平等眞和志)に所在する。 建屋は国の所有であり、2019年2月1日以降、管理および運営が国から沖縄県に移管された。なお同県管理期間は2019年2月1日から2023年1月31日までと指定されている[9]。同県は、国が管理運営を委託していた一般財団法人沖縄美ら島財団に、引き続き2月以降も管理業務を委託している[10]。 首里城の創建年代は明らかではない。尚氏歴代居城の正殿は、かつて百浦添(ムンダシー[11])と呼ばれ、敬称では御百浦添(ウムンダシー)と称された[注釈 1]。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。 尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても同様だった。史書に記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失している。焼失の度に再建されてきたが、良材が不足しがちな沖縄では木材の調達が問題となり、薩摩藩からの木材提供で再建を行ったり、将来の木材需要を見越して本島北部での植林事業を行ったりしている。
所在地・管理
歴史
創建
王家の居城としての利用開始1853年6月、首里城を訪れたペリー提督。城内に軍人を入れることを恐れた王府は北殿を開けたが、偽役人が応じ、正殿や中枢部を守った[12]