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首里
しゅり
国 日本
地方九州地方
都道府県沖縄県
自治体那覇市
旧自治体首里市
世帯数24,685世帯
総人口57,133人(住民基本台帳、2020年5月31日現在)
隣接地区市内:那覇市真和志
市外:浦添市、西原町、南風原町
那覇市役所首里支所
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所在地〒903-0807
沖縄県那覇市首里久場川町2丁目18番地9
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首里(しゅり、沖縄語: スイ[1][2])は、沖縄県那覇市の一地域。那覇市の北東部を占める。かつて首里市(市制施行前は首里区)だった地区である。また、さらに以前は首里城を中心とする琉球王国の王都として栄えた。
本項では首里市、同市の市制前の名称である首里区(しゅりく)についても述べる。
地理首里城から海を望む
隆起石灰岩を基礎とする高台となっており、最高地点は弁ヶ嶽(165.6m)である。サンゴを成因とする石灰岩は雨水の透水性が高く、沖縄本島は干害に悩まされてきたが、首里一帯ではその下に地下水を通しにくい泥岩層がある。このため那覇市で約120ヵ所ある湧水や井戸の多くが首里に所在し、こうした水の便が王都が築かれた理由の一つと推測されている。また、泡盛の名産地となっている[3]。(後述) 海抜100メートル程度の高台となる立地を活かし、NTTドコモの首里収容局[4]、エフエム沖縄新川放送所、移動無線中継局[5]などの無線送信・中継の拠点がある。なお、かつては崎山町に沖縄テレビ・ラジオ沖縄の放送所もあった。 2006年6月12日、首里鳥堀町で大雨による大規模な地盤沈下が発生し、上部にあったマンション敷地に陥没が生じ、居住不能となった[6]。
地勢
高地:虎頭山、ハンタン山(?上の毛、現・首里城内)、弁ヶ岳
河川:真嘉比川(→安里川)、安里川、安謝川
弁ヶ嶽から撮影した首里市街のパノラマ写真
歴史首里城正殿大正期の首里三箇昭和戦前期の首里市営バス
三山時代頃 - 現在の首里城付近の高台に城が築かれる。
(当初の城域は、現・首里城内の「京の内」と呼ばれる範囲だったとされる。)
1406年 - 南山の佐敷按司尚巴志が中山王武寧を攻撃して察度王朝を滅亡させ、中山国の首都を北の浦添から首里に遷都するとともに、首里城を王城とする。