首都(しゅと、英: capital / capital city)とは、一国の中心となる都市のことを指す。
多くの場合にはその国の中央政府が所在し、国家元首等の国の最高指導者が拠点とする都市のことであるが例外もあり、場合によっては中央政府の所在とは別に、その国のシンボル的存在として認められている都市が法律上の首都とされることもある。首都の存在を一国の法律上の地位として規定する社会もあれば慣習上の存在とみなす社会もあり、また国政上「首都」という概念を重視しない国もある。
首都は首府(しゅふ)・国都(こくと)・都(みやこ)などとも呼ばれ、また、帝制国家や王制国家の場合は帝都・王都等の称がある。 「首」はかしら(頭)くび、こうべ、かみ(上位:首座)、かなめ(要)、かしら(魁帥)、おさ(長)などの意。「都」はみやこ、天子の宮城のある首府をあらわす。周代の行政上の区画では君主の宗廟のある場所を都(ト・ツ)といい、無い場所を邑(イウ)と呼んだ。「都」は寄せ合わせ残らず集める意。曹丕文「頃撰二遺文、一都爲二一集」。「京」はみやこ(帝都)切り立った高い場所、丘、高い、多い、くじら(鯨=京)などの意。「京師」は天子の居ますみやこ、京は大、師は衆、大衆のおる所の意、春秋成十三「公如京師」。「京都」は晋の時代、景王の諱を避けて京師を京都としたことによる、魏志文帝紀「任城王薨於京都」[1]。清代に編纂された佩文韻府にはみやこを首に例える用例「首都」「首府」の採録はなく、熟語「首善之區」の元となった首善を採録する。これは漢書・儒林傳序の「故教化之行也,建首善自京師始」に由来する。英語Capitalの語源はラテン語kaputであり印欧語の「頭」あるいは「ウシの頭」をあらわす。ヒエログリフにおける牛の頭はフェニキア語や古代ギリシア語、ラテン語の文字に転用されアルファベット筆頭の「A」を表現する。またCapitalは「資本」とも翻訳される。メトロポリスはギリシャ語で「母都市」の意(m?t?r「母」+polis「都市」)[2]。 日本では一般的に京、洛と呼ばれ、古代から明治までの律令においては「皇都」、明治期から戦前にかけては「帝都」、戦後は「首都」と呼称することが多い。「帝都」の字句は幕末期の文書:船中八策に登場している。 漢字検定テキストなどによっては、「主都」は「首都」の誤字・誤用とされている[3]。ただし、「主」はきみ(君主)国家の元首やあるじ、ぬし(家長)、つかさどり(宰)まもり(守)すべる(領)ひと、神や神霊のやどるところ、神などをあらわす意であり、帝都を主都と表記しても字義的には誤りではないと解することもできる。 また、国の首都とは別に、その地域のおもだった都市(プライメイトシティ)を指して「主都」と記述することがある(例:ドイツのバイエルンの主都であるミュンヘン)。「都」ではなくその地域でのおもだったムラ(邑)という意味で「主邑」(しゅゆう)との表現がある。 日本のキリスト教では「主都」を冠する会派がある。 「首都」の他に「首都圏」という用語もある。「首都」はひとつの都市であるのに対して、「首都圏」は首都とその周辺に広がる都市の群、即ち圏域(都市圏)を指す。いわば、「首都」は点であるのに対して「首都圏」は面であることになる。首都圏を1個の地方行政区分とする例(フィリピンのマニラ首都圏、インドのデリー首都圏)もあれば、日本のように一部の法律に定義される程度の事例まで存在する。また、中国の北京市など、首都の地方行政区分の区域を広げる例もある。 世界の各国の中には、首都の位置を憲法や法令で明示的に記述している国も存在する。たとえばドイツ連邦共和国は憲法や法律により首都を具体的に指定しており、ドイツ連邦共和国基本法には第22条(1)に「ドイツ連邦共和国の首都はベルリンである。」(Art 22 (1) Die Hauptstadt der Bundesrepublik Deutschland ist Berlin. ⇒ドイツ連邦法務省のサイトより) と明記されている。アメリカ合衆国では憲法では首都の具体的な地域は指定していないものの、1790年の合衆国首都設置法は首都の位置をワシントンD.C.と明示している。 また、逆に法定の首都を持たない国も存在する。たとえばイギリスや日本は首都の地位を明示する法が存在しない。また、オランダやボリビア、タンザニアなどのように、法的に定められている首都と実際に首都機能が置かれている都市が違う場合もある。詳細は「日本の首都」、「東京奠都」、「東京都制」、および「都」を参照 なお、日本の首都について直接定める法令は現存しないが、一般的には東京都であると認識されており、東京都が事実上の首都である。 2018年2月には衆議院議員逢坂誠二の質問[4]に対し、「首都を東京都であると直接規定した法令はないが、東京都が日本の首都であることは、広く社会一般に受け入れられているものと考えている」とする日本国政府の公式見解が示された[5]。なお、東京都からは衆議院国会等の移転に関する特別委員会に対して、日本の首都の定義に関する質問を何度か行っている[6]。 首都と呼べる都市を複数持つ国もある。現在日本でも首都が地震や災害などで機能しなくなる事を防ぐ為、首都機能をバックアップする為に近畿圏に副首都を設置・整備する副首都構想がある。 古代の東アジアでは、中国の唐が長安と洛陽と太原の三都制(後には鳳翔と成都を加えた五都制となる)を採用しており、さらに日本(天武朝など)や渤海などの諸国がそれを模倣したように、複都制が広く行われた。この類型の中には、首都が移動するという場合もある。複都制を採っていた唐も、実質的には長安が第一首都(正都)であってその他の都は名目上(副都)にとどまっていたが、時には皇帝は長安を離れて洛陽に移動し、後者が正都としての機能を果たすこともあった。 鎌倉時代後期・江戸時代の日本でも首都機能が分散されており[注 1]、名目上の首都(天皇のいる京)と、行政機関所在地(幕府のある鎌倉・江戸)とが別々に置かれていた[注 2]。 モンゴル帝国(元朝)では、大ハーンは宮廷を引き連れ、中国の最北端にある大都(現北京)と、上都(草原の南端部、万里の長城をはさんで大都と対の位置にある)を季節移動した。 三権分立の観点から、国家の中枢機能を複数の都市に分割している国がある。
字義
類義語
主都
首都圏詳細は「首都圏」を参照
概説「首都の一覧」を参照
複都制
東アジアにおける歴史的な複都制歴史的な複都制については複都制を参照
近代・現代における複都制
複数の首都がある事例
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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