首都高速5号池袋線
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首都高速道路

首都高速5号池袋線
地図

路線延長21.5 km
開通年1967年 - 1993年
起点東京都千代田区竹橋JCT
主な
経由都市東京都文京区新宿区豊島区板橋区
終点埼玉県戸田市美女木JCT
接続する
主な道路
記法 都心環状線
中央環状線
.mw-parser-output .jaexpsign{text-align:center;background-color:#00702C;color:white}.mw-parser-output .jaroadsign{text-align:center;background-color:blue;color:white}.mw-parser-output .roadname{width:250px;border-radius:10px;padding:1em;margin:0.2em auto}.mw-parser-output .roadname p{margin:5px auto}.mw-parser-output .routenumber{display:inline-block;min-width:2em;border-radius:4px;padding-left:0.25em;padding-right:0.25em;font-weight:bold}C3 東京外環自動車道
埼玉大宮線
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

首都高速5号池袋線(しゅとこうそく5ごういけぶくろせん)は、東京都千代田区竹橋ジャンクション(JCT)で都心環状線と分岐し、埼玉県戸田市美女木JCTへ至る首都高速道路路線である。
路線概要

6号向島線とともに、埼玉S1川口線東北自動車道S5埼玉大宮線)・中央環状線方面から都心環状線へ向かうルートの一つ。

千代田区一ツ橋竹橋ジャンクション) - 豊島区池袋4丁目(北池袋出入口)間の8.1kmが5号池袋線1期として1964年11月9日に着工した。竹橋JCTで都心環状線から分かれると日本橋川の上部を北に進む。水道橋駅近くで中央本線の線路を越えると神田川の上部から西に向きを変える。この付近には内環状線の準備工事があるが、着工には至っていない。飯田橋付近より江戸川橋付近まで神田川沿いを進み、河川上部の高架橋の基礎工事は、河川改修工事と同時に施工した[1]。江戸川橋付近から南池袋付近にかけては護国寺交差点のラーメン橋を除き短支間のプレストレスト・コンクリート橋、その先の山手線赤羽線埼京線)の線路を越えるまでの区間は鋼構造で建設された。六ツ又交差点から山手線を越える池袋六ツ又陸橋にかけては関連街路と同時施工され、六ツ又陸橋は逆V型の立体ラーメン橋脚2基、ダブルデッキ構造の巨大な橋となった[2]。赤羽線を越えた先から1期の終点となる北池袋出入口までの上部構造はプレストレスト・コンクリートであるが、川越街道の拡幅で作業帯が確保できたので、支保工を使い現場打ち施工とした。北池袋出入口は2期の建設に備え、橋桁の継ぎ足しが容易な構造とした[3]。1期区間のうち竹橋JCT - 西神田出入口間1.2kmは1967年3月30日、西神田 - 護国寺出入口間3.9kmは1969年6月27日、護国寺 - 北池袋出入口間3.0kmは1969年12月19日に供用開始した[1]。1期区間の施工上の特徴としては鉄骨鉄筋コンクリート構造の本格採用や、リベット打ちに代えて騒音軽減・継手耐力の増加を目的とした高力ボルトの採用、プレキャスト床版の導入などがあげられる[3]

池袋4丁目 - 板橋区三園の間の5号池袋線2期9.3kmのうち、板橋区高島平高島平出入口)間の8.6kmが1970年2月5日に着工した。基本的に往復各2車線であるが、板橋区熊野町付近から大山東町付近にかけての山手通り上の区間は将来の中央環状線を構成するため上下2段の往復各3車線とされ、板橋ジャンクションの準備工事および熊野町ジャンクション予定部には郊外方面サービスの高松出入口が設けられた[4]。熊野町交差点付近では川越街道の共同溝工事や山手通りのアンダーパス工事があり、非常に輻輳した部分であった。作業スペースの効率化および経済性を図るため、連続地中壁を首都高速の高架橋の基礎とするとともにアンダーパスの擁壁とする工夫がなされた。板橋区仲宿付近から板橋本町付近にかけては街路中央に共同溝と都営地下鉄三田線が通っているため、基礎と橋脚はこれらを支障しない構造が採られた。板橋区泉町から前野町付近は中山道を離れ、出井川方面に進む。川沿いに桜並木のある閑静な住宅街であったが、集中豪雨による洪水が発生する地区でもあった。出井川を暗渠化するとともに、高架の両側に附属街路を整備した[5]。前野町から高島平出入口にかけては補助201号線関連街路で、景観に配慮してコンクリート構造が多用された[6]。北池袋出入口 - 高島平出入口間は1977年(昭和52年)8月19日に開通。

1990年(平成2年)11月27日には新大宮バイパスに沿う形で埼玉県に延伸し、高島平出入口 - 戸田南出入口間が開通。1993年(平成5年)10月26日には戸田南出入口から、東京外環自動車道と接続する美女木JCTの間が開通、5号池袋線としては全線開通した。なお、高島平出入口から終点までの区間の道路法上の路線名は東京都道・埼玉県道254号高速板橋戸田線である。

1998年(平成10年)5月18日には美女木JCTから北進し与野出入口に至る埼玉大宮線開通。2002年(平成14年)12月25日には板橋JCTから江北JCTに至る中央環状王子線、2007年(平成19年)12月22日には熊野町JCTから大橋JCTに至る中央環状新宿線が開通し、ネットワークの整備が進んだ。
工法

板橋区四葉付近の高島平高架橋の一部(第576工区)約230mは、首都高速道路公団が開発した「SSM式移動吊支保工」の試験工区となった区間である。この工法は上部構造の施工現場に設置された屋根付きの作業設備でコンクリート製橋桁の鉄筋の組み立てやコンクリートの打設を行い、作業が完了したら次の支間へ自走するものである。橋梁下部の交通を支障せず、軟弱地盤や河川上でも作業が可能となる、機械化による単純作業となるため工程管理が容易になり工期の短縮にもつながる、屋根を付けたことによりコンクリートの品質管理が向上するなどの利点がある。試験工区での工事は成果を収め、同路線の板橋区前野町付近の第562・563工区約920mでも採用された[7]。高島平高架橋は、1973年度の土木学会田中賞を受賞した[6]


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