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首都消失
作者小松左京
国 日本
言語日本語
ジャンルSF
発表形態新聞連載
初出情報
初出『北海道新聞』
『中日新聞』
『西日本新聞』
1983年12月 - 1984年12月
刊本情報
出版元徳間書店
出版年月日1985年3月
受賞
第6回日本SF大賞
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『首都消失』(しゅとしょうしつ)は、SF作家小松左京によって書かれた小説、ならびにそれを原作とする映画である。小説はブロック紙3社連合に該当する北海道新聞、中日新聞(東京新聞)、西日本新聞にて連載(1983年12月 - 1984年12月[1])された。単行本は1985年に徳間書店のトクマ・ノベルズとして刊行され、同年のベストセラーとなった。第6回日本SF大賞受賞。 S重工東京本社企画総務課長の朝倉達也は、愛知工場への単身赴任を終え、東海道新幹線で東京本社に戻る途中、異常事態に遭遇する。東京方面との通信・交通が突如として途絶し、新幹線が浜松駅でストップしてしまったのである。浜松駅で偶然、友人の航空自衛官・佐久間と出会った朝倉は、佐久間の車に便乗させてもらい、厚木市のS重工中央研究所へと向かう。 その日の午前7時過ぎ、東京の中心部から半径30キロメートルの範囲が、突如として出現した高さ1000 - 1500メートルの巨大な“雲”に覆われ、その内側との交通・通信・電波がすべて遮断されたのである。 S重工顧問で理学と工学の二つの博士号を持つ大田原剛造は、S重工中央研究所と城南医大の協力を得て、横浜新道が国道16号線とクロスする地点付近で“雲”の調査を行う。調査には、朝倉の高校・大学の先輩で、北九州のローカル紙『西部新報』の編集局次長格であり、たまたま伊豆の総理別荘を取材しに来ていた田宮も同行する。“雲”は竹槍を突き刺してもはじき飛ばされ、拳銃の銃弾すらもはじき返した。 その晩、厚木中央研究所に近い厚木基地で、外務省国際連合局の堀江局次長の同席のもと、自衛隊と在日米軍との緊急予備会談が開かれた。在日米軍側は日本側に対し、早急な日本政府の再建を求める。寝酒を求めて厚木中央研究所を訪れた堀江は、そこにいた田宮に事情を話す。田宮は事態の深刻さに発奮し、翌日、古巣のA新聞関西本社に赴き、日本政府再建のための奔走を始める。 “雲”発生から10日ほどして、緊急全国知事会議が名古屋で開かれ、全国知事会副会長である小室兵庫県知事を臨時首席代表とする「臨時国政代行会議」が樹立された。 一方、“雲”からは強力な粒子ビームが発射され、上空を飛行していた飛行機や人工衛星が被害を受ける。
あらすじ