養 由基(よう ゆうき、.mw-parser-output .pinyin{font-family:system-ui,"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}.mw-parser-output .jyutping{font-family:"Helvetica Neue","Helvetica","Arial","Arial Unicode MS",sans-serif}?音: Y?ng Youj?、生没年未詳)は、春秋時代の楚の武将。姓は?、氏は養、諱は由基。弓の名人として知られる。 楚の荘王・共王に丈夫として仕え、射術の妙によって有名となる。その弓勢の強さは甲冑7枚を貫き、蜻蛉の羽根を射ることができ、また100歩離れて柳の葉を射て百発百中であったという。楚王はかつて白猿を飼い自分で射てみたが、白猿は飛んでくる矢を捕らえて戯れたので、養由基を召して射させることにした。養由基が弓をととのえて矢をつがえ、まだ発しないうちに白猿は泣き叫んで木にしがみついたという。また共王が戦に敗れたとき、養由基は殿(しんがり)をつとめ1本の矢で複数の兵を倒す妙技を発揮し、敵を近寄せなかったともいう。 現代では「百発百中」の故事とともに知られており、鄭問の漫画『東周英雄伝』24・「放言の神箭手」でその勇姿が描かれている。
伝承
伝記資料
『史記』周本紀
『左伝』
『尸子』
『漢書』枚乗伝
『淮南子』
『蒙求』上
関連作品
鄭問『東周英雄伝』
中島敦『名人伝』古の弓の名人として名が挙げられる。
関連項目
花栄
?万春