養叟 宗頤(ようそう そうい、永和2年/天授2年(1376年) - 長禄2年6月27日(1458年8月6日))は、室町時代前期の臨済宗の僧[1][2]。諡号は宗恵大照禅師[1]。 京都出身、藤原氏の出の人物[2]。初め大応派の拠点である福寺正覚庵や建仁寺天潤庵に依る[2]。次いで近江の禅興庵の華叟宗曇に参じ、その法を継ぐ[1][2]。華叟の示寂後、文安2年(1445年)に京都の大徳寺の住持となり、興隆に尽くした[1]。その後、和泉に陽春庵
経歴・人物
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『養叟宗頤